新しき喜び

 コロナ禍でオンラインやリモートワークなどが急激が普及しています。そうなると出社や出張がそもそも必要なのかという議論も出てきます。今まで考える必要もなかったことにも疑問が生まれてきます。ですが、要・不要を考えることにも疑問があります。この社会はけして必要なことばかりではなく、不要と思えることもたくさんあります。しかし、そういった不要なことも大切なのではないでしょうか。


 たとえば視察と呼ばれるものの多くは親睦旅行でしかありません。議員から商店街の視察旅行まで成果があるとは思えませんが、親睦を深めたり、気分転換して意欲を高めたりすることもできます。平成の特徴に無駄の削減があったように思います。経費から行事まで無駄だ面倒だと削減されていきましたが、そのためにつまらない会社や地域になったのかもしれません。


 無駄を楽しむ余裕が必要ではないかと思うのです。目標に向けて一直線に走るよりも、道草しながらゆっくり進むほうが、みんなで楽しく歩むことができます。ダイエットは食べる喜びを制限し、断捨離は持つ喜びを制限し、コロナ過は外出する喜びを制限しています。喜びのない生活は無機質なものです。ダメだということに喜びを見出すのは悪徳かもしれませんが、コロナ禍にあっても喜びを放棄することなく生活していきたいものです。

 


 

立場が違えば

 観光関係者と話せば経済を回すことが重要と言われ、医療関係者と話せば感染拡大を止めることが重要と言われます。どちらも間違いではなく大切なことなのですが、立場によって主張が異なります。もし観光関係者が医療従事者の立場だったとしたら、経済よりも医療崩壊の阻止を主張することでしょう。人の世において絶対唯一の答えはありません。100人の人間がいれば100の主張があり100の価値観があります。


 私は自分の主張や価値観も大切ですが、自分とは異なる相手の主張や価値観も否定する前に聞いてみることが大切だと思うのです。そうすることで自分だけが正しいという執着を払い、たくさんある主張や価値観のひとつとして自分のものがあると分かれば、周囲や社会に対する態度や言動も変わってくると思うのです。執着を抑え自他の公平性を保つことで心がおだやかになります。執着からは敵対意識や被害者意識が生まれます。相手を認めようとすることで円満になるのです。


 相手の言葉を聞けない人がいます。相手の心が見えない人がいます。そういう人は共感や協調ということがなく、たった一人で生きているようなものです。使い古された言葉ですが「2人ならば喜びは倍になり、悲しみは半分になる」といいます。多くの人とつながることによって、たくさんの学びがあり感動があり人生が豊かになります。食べ物ばかりではなく、人間関係も食わず嫌いはやめて、まずは相手の言葉に耳を傾けてみたいものです。

 

今こそ正念場

 最近のコロナ関連の報道を見ていると、報道にありかたについて考えさせられます。政府が緊急事態を宣言し特に20時以降の外出自粛を求めると、昼間の外出を容認しており効果がないと報道します。政府にそういった意図はないのに、この報道が昼間の会食や飲酒をあおっているように思えてしまいます。また、緊急事態宣言対象地域の人出についても減少していないと報道すれば、視聴者は外出しても良いのだと考えてしまいます。コロナ対策を非難すればするほど成果はあがらなくなります。これも世論の誘導ではないかと思われます。


 政治家、メディア、国民それぞれに役割や義務があります。メディアが盲目的な政府の批判に終始すれば、本来の役割を放棄したことになります。経済は一流で政治は三流といわれた時代もありましたが、各分野がそれぞれ一流を目指さなければコロナ禍を力強く乗り越えていくことはできません。コロナ禍にあり各人の実力が問われているように思えます。厳しい時代になるほど人間性や実力が求められます。


 コロナ禍にあっても動じることのない企業や人間はコロナ以前から実力を蓄えていたからです。現在の状況にあっても、あきらめることなく精進することで、実力を養うことができます。厳しい環境ほど自らを鍛える道場となります。正念場のない人生はありません。その正念場を上手に乗り越えることで、より大きく豊かな人間になることができます。まさに今が正念場であり、覚悟を決めなければならない時なのです。

 

 

生々流転と

 年齢と共に現実への上書能力が低下していくように感じられます。上書能力とは現実の変化に対応していくことです。いまだにバブル期の感覚でいる人もいますが、バブルが崩壊して30年近く経ち時代も昭和から平成そして令和へと移り変わりましたが、現実感覚に乏しい人もいます。教科書も世相も価値観もすべて変わっていきますが、変わったことを知らない、もしくは知ろうとしなければ時代に取り残されてしまいます。


 楽しかった思い出や過去の栄光も人生の財産だと思いますが、そういったものに縛られてしまうと、新しい可能性が失われてしまいます。私達は過去・現在・未来を上手に統合していかなければなりません。過去から学び、現在を主とし最善を尽くし、未来への可能性を育てていくことが大切ではないでしょうか。そのためには上手に上書していかなければならないのです。


 人生は生々流転と移り変わっていきます。卒業したら、昇進したら、結婚したら、転職したら、退職したら、病気になったら、今の自分に即した価値観や生活基準というものがあります。自分の人生で学んだことを積んでいくことで、善い方向へと変わっていくことができます。年相応という言葉もありますが、年齢に見劣りすることなく、また負けることなく、生きることを楽しみたいものです。

 

 

先を読む力とは

 大雪ともなれば一晩で雪に覆われ、雪の下にある石も段差も見えなくなります。除雪車で除雪する場合には気をつけてなければなりません。秋のうちから危険なところには目印を立てておく人もいれば、危ないと思えばスコップで確認する人もいます。しかし、危ないと思いながらも進んでしまう人もいます。そういう人は除雪車を壊してしまいます。


 何か気になったときに立ち止まって確認できる人、気になりながらもそのまま進んでしまう人、長い人生においては些細なことであっても、積み重なることで大きく違ってくるものです。大きな失敗をする人は不用意に進んでしまう人です。経験、直観、忠告、推測なんでもかまいませんが、危険を察知できるようにならなければなりません。さらに察知したならば回避しなければなりません。失敗してから「やっぱり」と思う人がいますが、察知しても回避できなければ意味がありません。


 平穏な生活を送るためには、大きな成功よりも大きな失敗を避けることです。「無難」という言葉へのイメージはそれぞれだと思いますが、私は「難がない」ということで良い意味と考えています。成功も災難も平等に訪れるかのかもしれません。ただ人によって成功だけをつかみ災難を避ける人、成功はつかめないのに災難だけは抱え込んでしまう人もいます。その違いは先々を読む力だと思うのです。この道の先に何が待っているのか、良くも悪くも事前に察知することができれば、答えが分かっているテストを受けるようなものです。

 


 

たどり着いた喜び

 今期のドラマは登場人物みんながハッピーになれるものが多いようで、これもコロナ禍への配慮なのかもしれません。ドラマのストーリーとして毎回、登場人物が問題を抱え、それを解決していくというものがあります。45分のうち最初の35分は本人は苦悩し周囲は心配し、残りの10分で解決して絆を深めるという展開です。


 これを見て思うことは苦と楽の比率は平等ではないということです。どうしても最初は苦労や苦悩からはじまり、その期間も長いものです。その後から報われる喜びがやってきます。考えてみればあとから苦がやってくるよりも、あとから報われるほうが良いように思います。また、苦労や苦悩が多いほど報われる喜びも大きくなるものです。苦楽の比率が不平等だとしても、報われる喜びは何物にも代えがたい尊いものです。


 人生にはご褒美が用意されていると思うのです。苦労が多かったとしても、今まで生きてきて良かったと思える瞬間があります。しかし、その瞬間を味わうためには、自分の人生を放棄してはならないのです。けして自暴自棄になることなく、自分の可能性を信じて頑張らなければなりません。ドラマの主人公のような華々しい進展はなくとも、自分なりに着実に歩んでいくことで、喜び多き人生になるのではないでしょうか。

 

 

どうにもなりません

 真冬日に雪が降り続くなかでは、いくら除雪しても雪は増えるだけでした。ところが、気温があがり雪が落ち着くと何もしなくても雪は少なくなっていきます。自然を前にすれば人間の力など及ぶものではなく、翻弄されるばかりです。天気予報を見ながら一喜一憂していることが空しくなります。降っても降らなくても淡々と過ごしていきたいものです。


 人生において面白いほど上手くいく時期もあれば、何をやってもダメな時期もあります。こういった時期とは個人の努力の及ばないことなのかもしれません。古来よりこういったことを運気と表現することもあれば、古今東西で様々に表現され、また活用されてきました。基本的には外的な条件に頼るのはどうかと思いますが、好むと好まざるとに関わらず、日々の生活とは様々な影響のもと営まれているものです。


 自分の力の及ばないことに対する態度ということも、明確にしておかなければなりません。社会も環境も人も自分の思い通りにはならず、自分の願いとは違うものを突き付けられたときにどうするのか。願うばかり、頼るばかりでは何も変わらないわけであり、現実をどのように調整していくのか、自分の思うようにしていくのか、そういった力が求められます。些細なことで一喜一憂しない強さが大切ですし、現実をしっかりと受け止めながら、そこに最善を尽くしていく態度こそが道を開くのではないでしょうか。