敵をつくらず

 ケーブルテレビで大河ドラマ西郷どん」の再放送を見ています。明治維新後の舞台になったのですが、西郷隆盛は情を大切にするあまり反乱の首謀者へと担がれてしまいます。対する大久保利通は情が分からないため暗殺されてしまいます。どちらも新しい国づくりに命をかけたのですが、その想いが正しく理解されなかったのかもしれません。この二人がいなければ明治維新はなかっただけに惜しいと思うのです。


 夏目漱石草枕の冒頭に「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」とあります。理智で割り切っていると周囲と衝突しますし、他人の情に囚われると自分の足元をすくわれるといった意味でしょうか。さらに漱石はだから人の世は住みにくいといっています。人は感情の生き物であり、人間関係とは感情と感情の交流といえます。理性や道理も人にとっては大事なものですが、優先されるのは感情なのではないかと思うのです。


 相田みつをさんの作品に「あの人がゆくんじゃ わたしはゆかない あの人がゆくなら わたしもゆく・・・」とあります。これが人の本性なのでしょう。ですから、敵を作らないということが求められます。苦手な人や嫌いな人は誰にでもいますが、あえて敵にする必要はないのです。これだけで日々のストレスは半減します。そして親しき人々との良好な関係を維持することができれば幸福が約束されるようなものです。もちろん良好な関係維持も簡単ではありませんが、甘えることなく謙虚な気持ちでいるならば、良縁を磨いていくことができるのではないでしょうか。

 

 

短文の価値

 テレビでラインの返信について若者と中高年を比較していました。もちろん私はオヤジの部類に属しているようです。今まで考えもしなかった句読点に若者独自の意味がありました。また最も違うのは文字数でした。私はどうしても長文になってしまいます。スマホよりもパソコンのメールが先だった私は相手への説明を意識し不足や不明がないようどうしても長文になってしまいます。若者は短文です。要点を一言で伝えるというよりも、単純な返答や自分の気持ちの表現に見えてしまいます。そのため無限のやり取りが続いてしまうように思うのですが、世代間のギャップを感じてしまいます。


 ですが、この短文から学ぶこともあります。すべてを言葉にするのではなく、相手を信頼して判断を任せるということです。長くなるほど伝わらないということもあります。親子の会話などは、どうしても長くなってしまい子供が嫌々になってしまいます。名文ほど短いということがあります。不要なものを削り落としているからです。それは自分を良く見せたいという自己アピール、相手への不満や憶測、そして押しつけなど不要なものがなく、本当に必要な真理だけを表現しているからなのかもしれません。日々の会話もトークも長くならないよう気をつけたいものです。

 

この世は鏡なり

 この世界とは自分の心を映しているものです。明るい心で暮らしている人にとって、この世界は光り輝いています。暗い心で暮らしている人にとっては、この世界は暗くつまらないものになります。たとえ同じような状況や環境であっても、心の状態によって見え方が大きく違ってくるのです。

 すべては心からはじまります。想ったことが言葉や行動となり発信され、それがこの世界をめぐり自分のところに返ってきます。相手の善意や社会の可能性は、自分の心にある善意や可能性を信じることから生まれます。マイナスの感情に翻弄されることなく、自らの心を整え安定させることで、この世界も同じように素晴らしいものになるのです。

新NISAの恐怖

 株価の高騰がニュースになっているようです。また、それを追い風に新NISAも話題になっています。政府は国民の資産形成のための制度といっていますが、年金をあてにしないでも老後を過ごせるように、また国民の資産を景気回復に充当しようする意図もあるように思えます。私も保険屋さんや銀行から投資を勧められましたが断ってきました。投資のリスクが隅に追いやられ、税制優遇や政府が保証しているかのようなみんな儲かるといったイメージ先行の恐ろしい制度だからです。


 どうやらバブル崩壊の教訓は忘却の彼方のようです。そもそも楽して儲けようとすることに問題があります。今の時代にはそぐわないのかもしれませんが、儲けるために生きているわけではありません。仕事も給料をもらうためにしているわけではありません。お金は必要ではあっても、人生の最優先事項ではありません。それよりも大切なことはたくさんあります。日々株価の上下に一喜一憂し、仕事も家族も手につかなくなったのでは意味がありません。

 

 ギャンブルと同じようなもので、最初は自分をコントロールできても、いつの間にかのめりこんでしまうものです。真面目に働くのが馬鹿らしくなったら人間は終わりです。流行りに翻弄されることなく、着実に生きていくことが大切なのではないでしょうか。

 

捨ててこそ気づくもの

 日々の何気ない生活こそ大切なのではないかと考えています。何か特別なものを求めるのではなく、日々の「あたりまえ」をいかに充実させていくかが幸福への正道なのではないでしょうか。いつもより「ありがとう」や「いただきます」にもっと心を込めてみる。いつも以上に仕事を丁寧にやってみる、いつもよりも家族に優しくしてみるなど、あたりまえをあたりまえではなくやってみることです。


 同じことを繰り返していると、どうしても飽きたり、雑になったり、面倒になったり、惰性になってしまうものです。しかも毎日であればあるほど質の低下に気づけないものです。そのため損していることもあります。惰性によった生活の質を低下させないことです。豊かな生活とは日々の何気ないシーンを愛おしみ、より充実したものにしていくことなのです。


 昆虫は外灯の強い光に集まりますが、人間は強い刺激を求めるものです。ですが、強い刺激は疲れるものですし、それ以外のものが目に入らなくなるものです。そのため大切なものを見失ってしまうこともあります。仏道は不要なものを捨てていく生活ですが、それは本当に大切なものに気づくためなのです。惑わされることなく、平凡のなかに光を見出していきたいものです。

 

本気な人

 この世界において人が苦しむ原因のひとつに本音と建前があります。私達は自分の思いを抑えることで、時には偽ることで社会生活を営んでいます。けして全員の思いが一致することもなければ、すべての人と分かり合えるわけでもありません。そのため思ってもいない発言も行動もありますが、それは処世術ともいえるのかもしれません。ですが、本音を抑えるほどストレスが溜まり、苦悩が深まるものです。


 たとえば社交辞令で「すごいね」と言っている人と、本気で思って言っている人では大きく違います。本気で思っている人には発見と感動があり、素晴らしい一日となることでしょう。講演などを聞いていても、職業的な話し手は心地よく分かりやすく楽しい話をします。反対に本気で一事を成してきた人の話は不器用ではあっても心が揺さぶられることがあります。表面的なところではなく、深いところに真実の響きがあるからなのかもしれません。


 本気な人には敵わないものです。本気で思っている人は、本気で行動します。本気の人は「そこまでやるか」というところまでやります。その熱意が自分を変え周囲を変えいくのでしょう。私などは効率的であったり、周囲に遠慮してしまいますが、そういった縛りを軽々と越えていくのが本気の人なのです。私も自分の思いを高め、何かを本気でやってみたいものです。

 

人生の期待値

 新聞の大学生調査で将来を考えた時に子供が欲しくないという回答が19%にのぼったそうです。うまく育てられる自信がない、自分の時間がなくなる、経済的に不安、子育てに伴う責任を負う自信がない、精神的に不安、子供を持つ必要性を感じないという順に理由があげられていました。男女比では女性が23.5%、男性が12.1%と女子学生にその傾向が大きいようです。コロナ禍や現在の物価高を経験している学生は将来の不安も強いようです。


 学生の頃は将来への期待と不安が入り交じるものですが、願わくば不安よりも期待を強く持っていただきたいものです。社会は人の心を反映するものです。不安が強ければ、その不安が現実となりやすいものです。知らないうちに不安を現実のものとしてしまうことがあるのです。たしかに自然災害は増えるばかりで、物価も高くなるばかりで、様々な不安材料がありますが、そのうえで楽観的に考えることができれば、そのように進むことができるかもしれません。


 人生は知性で成り立っているものではありません。考えることで答えがもたらされるものではなく、人知を超えたご縁や導きといったものが重要になると思うのです。大事な選択ほど知性に頼るよりも、流れというものに身を委ねたり、考えるよりも勢いで進んだほうが上手くいくこともあります。自分の世界にこもるほど不安が大きくなるものです。広い社会で前向きに様々な経験をしていくことで、自信をもって自分の人生の期待値を高めてほしいものです。