甲子大黒天本山のブログ

このサイトは甲子大黒天本山オフィシャルブログとして福山主が担当しております。甲子大黒天の紹介のほか豊かな人生を送るために大切なことを書かせていただいております。

いつでもどうぞ

 現代社会は偽りの言葉や笑顔が氾濫しているように思われます。相手の言葉を信じられない、そして自分の言葉を偽ってしまう、お互いに自分の本音の部分を出せないからこそ相手を信じられずストレスが溜まるのかもしれません。そのため人間関係が面倒になり人間関係の距離がますます遠ざかります。しかし「人」という字は2人の人間がお互いを支えている形になっており、人間は1人では生きることができないのです。


 人間関係は無理しなければならない、空気を読まなければならない、我慢しなければならないと思っている人もいるかもしれません。しかし、そのように思うのは本当の自分を人前に出せないと思っているからなのです。言いたいことが言えない、やりたいことがやれない、とすれば人間関係など疲れるだけになってしまいます。自分の想いを堂々と人前に出せるかどうか考えなければなりません。ただ自信がないだけならば勇気を持たなければなりません。


 もし自分が少しおかしいとか歪んでいると思うならば、自分の心を掃除しなければなりません。お客様を自宅に招く場合には部屋を掃除しますが、同じように人と接する場合にも心がマイナスの感情に翻弄されないように整えておかなければなりません。礼儀や常識を身につけ、心を安定させておけば無理することなくありのままの自分を披露することができます。いつでもどうぞという準備をしておけば不意の来客にも困ることがありません。

 

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本当の会話

 お釈迦様がある農夫に供養を求めた時「私は毎日この畑を耕しています。あなたも食べ物をもらおうとはせず耕してはどうですか」と反論しました。お釈迦様は「私は心を耕す者です」と応えたそうです。この言葉よりもお釈迦様の雰囲気や態度に嘘偽りがないからこそ農夫は納得したと思うのです。


 論語には「巧言令色少なし仁」という言葉がありますが、言葉巧みな人ほど口先だけということがあります。現代は偽りの言葉が氾濫しているように感じられ、そのため人を信頼できなくなっているのかもしれません。言葉は大切なコミュニケーション手段ですが、その言葉が軽ければ、相手の心に響くことはなく人を動かすことはできません。


 言葉を尽くして説明することよりも、日々の行動のほうが大切だと思うのです。「あの人の言うことなら信じられる」という場合、その人の言葉や話し方よりも、日頃の態度や関係性によるものです。人柄によって、同じ言葉であっても相手に与える印象が大きく違ってくると思うのです。信頼関係のない会話は虚しいものです。お互いが自分の言葉に責任を持って、日々の行動に反映させるならば、信頼できる有意義な会話になるのではないでしょうか。

 

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最後に笑うために

 私達は様々な問題にぶつかるとすぐに答えを求めたくなります。その答えとは苦労や苦悩から解放されるための答えであり、早く楽をしたいために求める答えなのかもしれません。ですが、楽をしたいために求める答えに救われることはありません。私達が暮らすこの社会とはそんなに単純なものではなく、世の中に楽をして得られるものなどありません。すべて相応の対価を求められるのです。


 夢を実現するためには努力という対価を求められ、反対に日々怠けていても自業自得という対価を求められます。何をしてもしなくても対価を求められてしまうのが人生なのかもしれません。ならば幸福へとつながる対価を支払いたいものです。幸福への対価とは今支払うものです。不幸への対価とはあとから支払うものです。たとえ大変でも今すべきことを今すればプラスになります。面倒で今すべきことを棚上げにしてしまうとマイナスになります。


 さらに今するにしても楽な方法で手を抜くのか、それとも面倒でもちゃんとするのかで大きく違います。何事も効率が求められる時代ですが、楽をして得られるものは限られています。苦労すべき時には苦労し、苦悩すべき時には苦悩することが、長い目で見れば役に立つのです。夏休みの宿題と同じで今楽をすることは必ず後々の後悔につながります。人生も夏休みの宿題の延長線上にあります。最後のほうで泣くことがないよう、今のうちから頑張りたいものです。

 

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ランクとスペックを競って

 テレビの番組で同級会の話題を取りあげていました。そのなかで同級会はお互いのランクやスペックを競うためにあるという発言があり、成功していたり充実している人間が行くものであり、そうでなければ辛い思いをするということでした。しかも40歳を過ぎればほぼ勝負が決まってしまうため絶望的なのだとか、さらに60歳を過ぎれば健康や長寿しか競うものがなくなると言っていました。


 同じ人間はおらず、それぞれに環境も個性も違うのに、自分の物差しで比べようとしては一喜一憂して苦しむのが人間です。自分は自分、他人は他人と分けて考えれば楽になれるのに、それができないため苦しいのです。私達は比べるのではなく、認めることのほうが大切なのではないでしょうか。ありのままの自分と相手を認めることが必要です。


 子供の頃から点数や順位をつけられることに慣れてしまい、社会人になってからもあたりまえのように比較される生活をしています。画一的な競争も必要なのですが、そういう社会で暮らしているからこそ、比較する必要のない自分を確立しなければなりません。世間の競争や価値観が自分のすべてになってしまうと苦しくなります。そういう世界で生活しながらも、自分のなかに外界から影響されないおだやかで満たされた世界を持ちたいものです。

 

 

新しい自分との出会い

 相手の想像通りの行動では意味がありません。良い意味で相手の想像を超えることができれば、そこに感動が生まれます。これは恋愛ということではなく、仕事や人間関係など生活のすべてに適合することです。人の印象や記憶に残る人とは相手の想像を超えていく人なのです。あたりまえのことをあたりまえにすることも大切ですし、あたりまえのことをあたりまえではなくすることも必要です。


 いわば平凡と非凡の使い分け、もしくは着実さと大胆さを兼ね備えるということです。どうしても人間はどちらかになってしまいますが、状況に応じて様々な対応ができたほうが楽しいですし上手くいくものです。まずは自分のなかに様々な自分がいることに気づかなければなりません。私はこういう人間だと思っていても、たしかにそれが中心的な人格だとしても、それだけではないはずなのです。


 家でくつろいでいる時の自分と、仕事をしている時の自分は違うはずです。仕事の顔というものがあったり、家族や同級生と語らう素顔があったりするものです。さらに自分という人間を深く探っていくならば様々な顔があり、様々な可能性が眠っているはずなのです。社会は地下資源を発掘することで豊かになりますが、人間も自分のなかに眠っている可能性を発掘することで人生が豊かになるのです。心の声に耳を傾けながら、新たなる自分に出会いたいものです。

 

 

日韓問題から学ぶ人間関係

 日韓問題は長引きそうです。自制を求めるアメリカは中国と摩擦が続き、イギリスもEUから脱退問題がスッキリしないようです。お互いに自分の利益を優先しているうちは解決の糸口は見出せないものです。国なら自国、会社なら自社、個人なら自分を中心に考えているうちは争いばかりになります。平和や安寧を求めるならば、問題を解決したいと思うならば、利害のつなひきをやめなければなりません。


 交渉するためには道理か損得しかありません。お互いの良心によって建設的・平和的に解決するか、争うことの損失よりもお互いがそれぞれに利益を得ることのできる道を探るかなのです。良心もなく、自分の利益しか考えられないとしたら、もはや交渉の余地はありません。今の日韓関係は信頼関係が崩壊し、相互の利益よりも反日感情が先行しているため方策がありません。冷静になれなければ解決することはないでしょう。


 何事にも相手があるものです。その相手とどのような関係を築くかによって日々の生活が大きく違ってきます。自分の生活でありながらも、その内容を決めるのは周囲との関係性なのです。毎日を楽しく過ごすためには争ってはいけません。嫌いな人や苦手な人とも上手に付き合わなければなりません。日韓問題を自分のこととして考え、日々の人間関係について考えてみたいものです。難しい人間関係をどのように、とらえていけば良いのでしょうか。

 

 

鏡よ、私の心よ

 他人を許せない人は自分を許せない人です。他人を信じられない人は自分を信じられない人です。この世界とはすべて自分の延長線上にあるものです。ですから100人の人間がいれば100の世界があります。たしかに私達の生活は世界の政治や経済の影響を受けますが、大切な部分というものは自分次第なのです。どのように自分という人間と向き合い、その先にある世界とつながっていくかを考えなければなりません。


 私はこの世界とは自分の心を映しだす鏡だと思っています。すべて心というフィルターを通して見ているのです。この世界を醜いと感じるのは、この世界に怒りを感じるのは、この世界に失望するのは、自らの醜さ、怒り、失望を映しだしているだけなのです。そのように考えることができれば、逆にこの世界は自分の思うがままに作り変えることができるはずなのです。信頼でき喜びに満ちた世界にすることもできるのです。


 現実世界に翻弄されている人々は自分の心を制御できないでいるのです。心が落ち着けば、世界も安定します。思春期には些細なことで世界の終わりのような気分になりますが、自分自身もこの世界も何事もなかったかのように次の日を迎えるものです。大騒ぎしているのは自分だけであり、冷静になってみればたいしたことではないのです。これからますます世界は荒れてくるかもしれませんが、そうであるならばなおさら自分の心は安らかでありたいものです。