甲子大黒天本山のブログ

このサイトは甲子大黒天本山オフィシャルブログとして甲子大黒天の紹介のほか豊かな人生を送るために大切なことを書かせていただいております。

引き寄せの法則

 小学校の国語の教科書に「三年とうげ」があります。この峠で転んでしまうと三年しか生きられなくなるというものです。通る人は誰しも気をつけて歩くのですが、あるおじいさんが転んでしまいました。そのおじいさんは自分はあと三年で死んでしまうと恐れおののき、ついには病気になってしまいました。あの人がお見舞いに来て三年峠でもう一度転べば6年生きられる、三度転べば9年生きられる、転べば転ぶほど長生きできると教えました。おじいさんは三年峠で何度も転び病気も治り、すっかり元気になりました。


 何事も考え方だと思います。人生には必ず逆境がありますが、その時の態度によって人生が大きく変わっていきます。嫌々耐え忍ぶのか、それとも前向きにとらえるのか。避けられないとしたならば、そのなかで苦しむよりも、できるならば楽しみたい成長の糧にしたいという思いが大切だと思うのです。自分の想いひとつで、その環境が天国にも地獄にもなるのではないかと思うのです。


 よく発想の転換といいますが、いかにマイナス思考をプラスの発想に転換するかが問われます。人間の思考は固定的であり、否定や不信ばかりだと人生そのものがそのようになってしまいます。引き寄せの法則なるものもありますが、自分の想いが言葉や行動となって社会に発信され、それに利息がついて返ってくるのではないかと思うのです。いかに厳しい状況にあろうとも、あきらめることなく光明を見出したいものです。

 

 

苦悩のなかでつかむもの

 たとえば上手にスキーをしている自分をイメージできても、実際にスキー場に行けば理想と現実のギャップがあります。分かっていることが、そのまま実行できないのが普通なのです。理想と現実のギャップを埋めるためには努力と経験しかありません。自分の筋書き通りに進めるためには、相応のものが求められます。


 私達はつねに自分の限界と向き合わなければなりません。ですが、自分の限界を否定して無理にその先に進もうとするよりも、限界を認めることも大切ではないかと思うのです。素直に認めることで苦悩から解放され、また新たなる道や個性が見出せるかもしれません。限界に執着しても翻弄されるばかりなのです。


 限界を突破するとは、けして正面から挑むばかりではなく、迂回してもコースを変えても良いのです。同じところをウロウロするのではなく、前に進めば良いのであり、前という方角は決まっておらず、自分で決めて進めば良いのです。そして挫折や失敗から新たなる方向性が見えることもあります。転んだ時に何をつかむのかが大切なのです。今までの自分になかったものを、いかにしてつかむのか。苦悩のなかにあっては、それが大切なのではないでしょうか。

 

 

決断の先にあるもの

 人生は選択の連続であり、自分という存在は過去の幾百千の選択によるものです。何を選び、何を選ばなかったのか。何をして、何をしなかったのか。その総和が今の私なのです。子供の選択は正誤や善悪の選択でありシンプルなのですが、大人になれば清濁混在する社会において正解のない選択肢も多くなります。


 たとえばコロナ禍にあっては医療関係者と観光関係者では求めるものが違います。どちらが正しいということではなく立場の違いなのです。異なる立場や価値観が交錯するなかで、ひとつの結論を導くのは難しいことです。私は後悔しないためには何を選ぶかよりも、選んだあとのほうが大切だと考えています。選んだこと決まったことを、いかに納得し実践し、より良いものにしていくかが問われます。決断は新たなるスタートでしかありません。次なるゴールに向けていかに進むかが重要だと思うのです。

 

 

何を集めるのか

 松下幸之助さんの言葉に「人に安心を与えなさい。人に安心を与えることは君の信頼を築く」というものがあります。私達は周囲に影響を与え、また与えられながら暮らしています。基本的には自分が周囲に与えたものに利息がついて返ってきます。安心は信頼となって返ってきますし、不信は嫌悪となって返ってきては人を遠ざけてしまいます。


 誰かに頼もうと思った時に、断られると思う人のところには行かないものです。「あの人なら」と期待できる人のところに行きます。人を邪険にする者には誰も近寄らず、人の期待に応えようとする者のところに人は集まります。人の集まるところには信頼も笑顔も集まるものです。自然と人が集まる磁場のようなものを持っている人は、まさに周囲に安心を与えているのです。


 万能な人はおらず誰しも限界を持っていますが、自分のために頑張ろうとするのではなく、誰かのために頑張ろうとするところに、自らの成長があります。自分のための努力は小さな成長であり、誰かのため、地域のため、社会のためとその範囲を広げていくほど、自分の可能性や成長も広がっていくのです。活躍のフィールドを広げるためには、プレーヤーの数が多くなければなりません。人が集い一緒に楽しめるよう、それに見合ったものを提供していきたいものです。

 

 

ここが勝負所

 空気が読めないと言った場合には人間関係に使われることが多いようです。しかし、私は今の状況を的確に読むことも含まれるように思うのです。どんな人にも人生において何回かのチャンスが訪れるものです。今がその時である、大事な場面であると理解できなければ、せっかくのチャンスも逃げていきます。成功者とはチャンスをつかんだ人であり、チャンスを意識できた人なのです。


 今は勝負の時なのか、休息の時なのか、鍛錬の時なのか、関係づくりの時なのか、自分が何をすべき時期なのか考えなければなりません。為すべきことを為している人は大事な場面で力を尽くすことができます。大事な場面を一発勝負で乗り越えようとするのか、事前に準備と鍛錬を万全にして臨むのかでは大きく違います。前者はほとんど失敗し、成功するのは後者です。


 学校時代を思い返しても普段からちゃんと授業を聞いて予習復習に怠りなく、テスト前にはしっかり勉強する人間にテストで勝つことはできません。ほとんどの場合には自分がやった分しか返ってはこないのです。「自分がどれだけやったか」を誤魔化すことなく向き合わなければなりません。長い人生のなかでつねに全力運転では疲れますから、勝負所で頑張れるよう上手にメリハリをつけていきたいものです。

 

 

輝く未来のために

 社会の授業とは知識や教養を身につけるだけではなく、人間が歩んできた過去を学ぶことから、現在の成り立ちを知ることが大切だと考えています。過去、現在、未来はすべてつながっているわけですが、過去を学ぶことで現在を知り、そこから未来を予想することができるのです。これは社会という全体的なことばかりではなく、自分の過去を省みることで、現在の必然を知り、さらに未来を予想し変革することができる、その最初の一歩が過去を学ぶことなのです。


 現在とは過去の自分が作ってきたものであり、いわば必然なのです。過去の自分の努力や怠慢、恩恵や逆境などすべてが今の自分を形成しています。偶然や第三者が今の自分を作ってきたのではなく、すべて自分の選択と行動の結果なのです。この事実を認めることで、今の自分がどのような未来を作っていくかも予想することができ、さらにはその予想が意に反するものであるならば、それを変えていくこともできるのです。


 私達はそれぞれが望む未来を作っていくことができるのです。三日坊主という言葉があり、目標を持ってもなかなか続きませんが、途中で放棄することなく継続していことで、明るい未来が待っています。自分の過去・現在・未来をどのようにつないでいくのかを考えなければなりません。懲りない人とは過去から学ぶことのできない人です。自分の失敗や後悔は自分を変えるチャンスでもあります。過去から学べば今が変わり未来が輝きます。

 

 

本当の自由とは

 「我がまま」を「我が心のままに生きる」と訳した言葉に出会いました。一般的に使用するワガママも「我が心のまま」も同じような印象を受けますが大きく違います。ワガママは周囲に配慮することなく自分勝手に振舞うことです。「我が心のまま」は周囲に左右されることなく、自分の信念をもって生きることです。この違いは人間性から生まれてくるものです。


 自分をしっかりと制御できる人は、人に流されることなく自己実現を果たしていく人です。逆に自分に負けてしまう人はワガママで周囲に迷惑をかけ、自分をもダメにしてしまいます。心の修養がなければ、何をしても上手くはいかないものです。思いのまま自由に生きたいと思うならば、自分を堕落させることなく周囲に迷惑をかけないだけの修養が必要になります。


 論語の「心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」こそ、現代にまで通じる指針であり本当の自由だと思うのです。この境地に達することができれば、意識せずともすべての人が円満になれます。無理をして自分を抑え、思ってもいない言動を続けることはストレスでしかありません。ですが、修養のないまま振舞っても周囲に迷惑をかけ嫌われてしまいます。論語の境地は遥か遠いとしても、その道を歩んでさえいれば道を外れることはないのかもしれませんね。