心を重ねて

 小学校の記念誌を担当していますが表紙の色を決めるときに多数決を取りました。最後の2択になったときに、ある編集委員から「この色は小学校の象徴であるイチョウの黄色ですね」という発言がありました。それを聞いて、それまで青色が優勢だったのが、逆転して黄色に決まりました。物語や人の想いが加わることで違って見えるようになるものです。


 物には心がありませんが、それを作った人や使う人の心が宿ることがあります。大量消費の使い捨てではなく、長く大切に使われるものほど、たくさんの想いが宿るようになります。その想いを知るか知らないかで、見方が大きく違ってきます。昔は良い物を長く使う文化がありました。SDGsは最近の言葉ですが、もともとSDGsを実践してきたのが日本人です。祖先からの知恵を忘れてしまったから、環境が乱れてしまったのです。日本においてSDGsとは元の生活に戻ることなのです。


 物に限らず人の想いを知ろうとすることは大切だと思うのです。無関心に相手と接するのと、相手の想いを知ろうとして付き合うのとでは大きく違います。相手の想いを理解できれば、それだけ親しみや信頼も生まれます。人は心で生きています。相手の心と自分の心がつながることで、人生がより豊かになると思うのです。多くの人と心を重ねていきたいと思います。

 

答えは後から

 人生における選択肢に絶対的な正解はなく、そのため誰しも迷いながら生きているものです。あらかじめ分かっていれば、選びやすいのですが、「やってみなければ分からない」というのが実際のところです。ですが、分からないということは、可能性があるということでもあります。自分の可能性を信じること、そして誠実に頑張ってみることが大切だと考えています。


 人生は理不尽なもので、必ず意味があると言われても、その時点では理解できないものです。ですが、5年後や10年後に、もしくは20年後に気づくことができたり、価値が生まれることもあります。もちろん、すべてに価値が生まれるわけではなく、不平不満ではなく、たとえ理不尽なことであっても自分なりに責任をもって向き合っていくことが必要なのです。いつしかちゃんと応えてくれるようになるものです。


 「あの時は苦しかった。でも、そのおかげで今がある。」と思える人は、苦難を克服し幸せになれた人なのです。苦しいままで終わるのか、それとも苦が楽となるのかは、その人次第なのです。人生の答えはあとからついてきます。すぐに答えを求めようとするのではなく、今すべきことに最善を尽くすことです。そうしてこそ自分が求める答えが育まれていくのです。

関わりのなかで

 忙しい日々か続いております。法務に専念できれば良いのですが、俗世につかり様々な役割を与えられております。自ら望んだものもあれば、押し付けられたようなものもあります。どれも仕事量以上に期待やプレッシャーが負担になることがあります。近年は仕事もほどほどにプライベートの充実を求める傾向もありますが、なかなかそうはいかないものです。


 私はどのような仕事であれ関わったならば、できる範囲ではあれ頑張りたいと思っています。個人の楽しみよりも、地域の様々な関わりのなかに楽しみを見出したいと思うのです。活躍できる喜び、居場所がある喜び、忙しいと愚痴ることができる喜びなど、面倒だと思うことなく関わっていくことで得られる充足もあります。


 今後はいかに周囲と関わるかということが社会的にも課題だと思います。個人の世界に没頭できる環境が整備されていくなかにあって、昔ながらの会って話をすること、一緒に汗を流したり食事をすること、懇親を深めたり愚痴を話すこと、こういったことが大切になってくるはずなのです。人を恐れず関わっていくことで、思いもよらない居場所や役割を見つけられるかもしれません。

 

謙虚という宝物

 順調な時ほど実は落とし穴が多いのかもしれません。油断していると、すぐに落ちてしまい一瞬の栄光に終わってしまいます。逆に逆境にある時にはどん底にいるわけで、これ以上は落ちることがありません。覚悟を決めて頑張るしかありません。ところが頑張ってはいあがっていくと、苦労したことも忘れて調子に乗り、また落とし穴に落ちてしまいます。


 調子がいいと、すべて自分の能力だと勘違いして周囲への感謝を忘れてしまいます。何をやっても上手くいくと勘違いして準備や根回しを怠るようになります。問題や心配があっても何とかなると不都合に目を向けなくなります。みんなが理解してくれていると勘違いし独断や説明不足に陥ります。他にも様々ありますが、順調な時ほど気をつけなければなりません。


 現状維持ということはなく、長い目で見れば上がっているか下がっているかのどちらかなのです。どちらにもちゃんとした理由があり、そこが分かっているかどうかが大切なのです。分かっていれば対処もできますが、気づくことができなければ、どうすることもできません。自分のことは意外と分からないものであり、人間は知らぬ間に変わっていくものです。何事においても謙虚であることが大切であり、「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉を実践したいものです。

 

成功者の視点

 日々の反省ということについて考えさせることがありました。写経では朝には「今日も一日よろしくお願いいたします。」夕べには「今日も一日ありがとうございました。」という祈りが日々の安寧につながると法話をしております。朝は今日も一日頑張ろうという誓いであり、また見守ってくださいという祈りです。夕べは今日一日への感謝であり、そして反省が含まれなければならないと思うのです。


 反省がないと自分の失敗や欠点に目がいかなくなります。都合の良いことばかりになり、成長がなくなります。そのため問題や課題がそのまま放置され、結果的に何事もうまくいかなくなります。感謝と反省の両輪が必要だと思うのです。さらには良かったことは神仏や相手への感謝とし、悪かったことは自分の責任として反省することが求められます。一見、理不尽にも思えますが大切な視点なのです。


 これは成功者の視点と表現できるかもしれません。良いことは「おかげさま」であり、悪いことは「自分のせい」と考えることで、謙虚に相手や物事と向き合うことができます。これとは逆に良いことは「自分の手柄」、悪いことは「周囲の責任」と考えてしまえば、いずれ破滅へとつながります。日々の反省の有無によって3年後10年後が大きく違うかもしれません。今日という一日をしっかり点検し、素晴らしい明日につなげたいものです。


 

チャンスをつかむ人 

 「考えるよりも先に体が動く」と聞くことがあります。これは思慮がなく思いついたらすぐに行動する無鉄砲という意味なのか、それとも考えすぎて行動しない人への嫌味なのか、捉え方はそれぞれだと思います。思考と行動のどちらが大切なのか。もちろん両輪なのですが、強いて言えば結局行動しないのであれば、まず行動したほうが良いのかもしれません。動き始めると必要なものは、あとからついてくることもあります。


 今回のテーマはチャンスをつかむのは一瞬の判断ということです。チャンスが到来した時に迷っていてはもちろんですが、考えている暇もないかもしれません。スマホで検索したりマニュアルを探す時間はないかもしれません。現時点で自分ができる最善の行動が瞬時にできなければなりません。それは意識の高さであり、日頃からの心がけであり、いちいち考えなくても最善の行動できる態勢が必要なのです。


 何事も状況の判断があり、対策の検討があり、行動があり、結果があり、責任があり、すべてがつながっています。日頃からこの流れを意識して、どこかひとつではなく、すべての精度をあげることが大事です。事が起こってからではなく、起こる前が勝負なのです。「あの人は幸運な人だ」と聞きますが、チャンスをつかむだけの努力や準備をしていた人なのです。