婚活の限界

 テレビで若者の婚活を特集していました。若者に人気の婚活アプリは、まるでカタログショッピングをするかのような印象を受けました。初対面で相手の情報を聞き出す必要がなく楽なのだそうです。ですが、選択肢(相手)が増えれば増えるほど、かえって決められなくなるように思うのです。「この人しかいない」と思って付き合うのと、「もっと素敵な人がいるかもしれない」と思って付き合うのでは違うと思うのです。スマホの前では一期一会という言葉も虚しいものになってしまいます。


 結婚ばかりではなく人生そのものが合理性や計画性で図れるものではありません。そうならないのが人生であり、だからこそ楽しいのだと思うのです。大切なのは思うようにならない時の柔軟性です。合理や計画が崩壊した時こそ状況に応じた柔軟な対応が求められます。私達は与えられた状況や条件のなかでしか生きていくことができません。理想と現実の狭間でどのように生きるのかが問われます。


 柔軟に対応していくために必要なものはスマホではなく経験と自信です。人生の大事な選択ほどスマホで検索しても答えはなく、今までの経験を基に自分を信じて選び取るしかありません。合理的・計画的な選択肢などなく、不合理であったり突発的であったり満を持して選べるようなものではありません。大切なことは経験値を高めるため様々なことに挑戦してみること、そして何事からも学ぼうとする意識だと思うのです。便利な道具を使うのは悪いことではありませんが、便利な道具がなくなっても大丈夫なようにしておくこと、そして大切なことの本質を見失わないようにしたいものです。

 

 

自分を感じることができません

 日々の生活においては外界から様々なものが入ってきます。それらをどのように処理するかによって人生が定まってくるように思うのです。外界からの影響は大きく分けて良いものと悪いものがあります。良いものについては、いかに感謝して受け入れるかが問われます。周囲からの善意や配慮に対して感謝できなければ、心ある人々は離れていってしまいます。善意や配慮を受けるに相応しい人にならなければなりません。


 悪い影響については上手に廃棄しなければなりません。日々の生活においては様々な誘惑があり自らの欲を刺激されますが、負けることなく律しなければなりません。また、ストレスや困難もありますが、翻弄されることなく上手に解消したり、成長のための糧としなければなりません。良きもの悪いものを見極めて処理していくことで整理され安定して生活を送ることができます。


 現代社会の特徴に外囲からの影響をまったくスルーしている人々も多いように感じます。善意や配慮にも無関心であり、ストレスや困難も自分で何とかしようとすることはなく、そのまま放置したり誰かが何とかしてくれるのを漠然と待っているような状態です。いわば主体性のない無気力・無関心の生活をしているわけです。自分の人生であるのに、その人生を放棄してしまっては、存在そのものが希薄となり消滅しかかってしまいます。


 生きている実感というものは外界との接触のなかで感じるものです。どのように接触するかで幸不幸が定まってきますが、そもそも接触がなければ虚無となります。自分を見失うことがないよう善悪を判断し、前向きに社会と関わっていきたいものです。

 

 

不満ばかりの人

 いつも不満ばかりの人は周囲から意地悪されているわけではありません。一般的な人よりも不満を感じる割合が高いということなのです。同じことでも、それを不満に感じる人とそうではない人がいます。不満の多い人は何事も習慣的に不満に感じてしまいやすいのです。ところが、そういう人ほど自分の不満を社会や周囲の責任にしてしまうため、イライラしたり嘆いたりストレスを抱え込んでしまうのです。


 不満を感じるかどうかは、その人の度量にかかっています。心の大きな人ほど何事も許すことができます。許せない人は、それが不満となりお互いを苦しめることになります。思考回路が複雑で面倒な人ほど不満を抱えやすいように思います。心の広い人ほどシンプルな思考で執着がありません。立場、権利、優劣、善悪など考えれば考えるほど面倒な思考に陥ってしまいます。めんどくさい人とは必要以上に考えてしまう人なのです。そのため不満や不安が大きくなってしまいます。


 何も考えずお気楽に生きるということではなく、囚われない思考が大切だと思うのです。人間には感情と理性があり、感情で考えてから理性で判断する人と、理性で考えてから感情で判断する人に分かれます。感情が先だと好きか嫌いかが前提となり、それを理性で合理化します。理性が先だと理屈で考えてから感情が承認します。どちらが正しいということはなく、あくまで性格であり一長一短があるものです。自らの性格を上手に導き不満やストレスにより苦しむことが少なくなるようにしたいものです。

 

 

 

雪国東北の消失

 雪がまったくない雪国の1月となりました。例年ならば雪かきに追われる日々ですが、今年は体がなまってしまいます。雪国では暖冬だと景気が悪くなります。除雪やスキー場など雪の経済といえる仕事が多いからです。しかし、今年はたまたまの暖冬ではなく、温暖化による必然的な暖冬ではないかと思っています。記録的な暖冬といわれていますが、10年もすればあたりまえになっているかもしれません。東北地方が雪国と呼ばれなくなるかもしれません。


 環境、時代、世界、人間などすべて変わっていくものです。この変化にどのように対応していくかが問われます。除雪の仕事は雪が降らなくなれば必要なくなります。ガソリンスタンドは電気自動車が普及すれば必要とされなくなります。すでに温暖化が進み電気自動車も普及しつつあります。この事実から目を背けるのではなく、今のうちから備えなければなりません。地元でも除雪の代わりに福祉やアパート経営などに力を入れる建設会社もあります。普段からの意識や行動の差が今年のような暖冬の時に大きな差となって現れます。


 私は不確定な未来と確定的な未来があると考えています。就職先で自分がいつまでどんな仕事を続けられるかは不確定です。しかし、働く意欲がなく先輩を敬うことなく何かあればすぐさぼる人間と、仕事に対する熱意があり分からないことは先輩に相談し遅くまで頑張っている人間と、この2人が今後どのようになっていくかは確定的だと思うのです。健康診断で同じような指導をされても、次の日には忘れて暴飲暴食する人間と、指導を忠実に守る人間と、人の寿命や健康は不確定ですが、この2人の先々の健康については確定的だと思うのです。どうなるか分からない未来は不安の種ですが、今できることに最善を尽くし少しでも確定的な未来を創造したいものです。

 

 

真の教育とは

 今の日本に足りないものは何でしょうという質問があり、私は忍耐だと答えました。若い世代を中心に忍耐力が大きく低下しているように感じられます。どうして忍耐が必要かといえば、私達が生きているこの社会は厳しいものであり、忍耐なくして人生を歩んでいくことはできないのです。ですから子供の頃から厳しさのなかで忍耐力を養わなければなりません。ところが、家庭は甘やかし、学校はことなかれ、地域は無関心ということでは子供の健全な成長はありえません。


 忍耐を養うには忍耐が求められます。子供の自由にさせるのが最も楽な方法なのですが、それでは忍耐を習得することはできません。親が面倒だとは思わずに子供のワガママと対峙しなければなりません。忍耐がなければ子供に忍耐を教えることはできません。親に常識や教養がなければ子供に教えられないのと同じなのです。徳目ほど習得には時間がかかりますから、早くから取り組まなければなりません。英語や水泳も大切なのでしょうが、子供のためにもっと大切なことがあるはずなのです。


 人生の最終目標は幸福の実現だと思うのですが、そのために必要なものは何かと考えなければなりません。私は金銭や権力ではなく人徳だと考えています。周囲から損得なしに尊敬されること、自分に対して謙虚に自信を持てること、困難にもよく耐え進めることなど、人間力を磨くことが大切だと思うのです。親というものは我が子の幸福を願うものですが、そもそも幸福とは何か、幸福実現のために必要なものは何かと考える、その先に真の教育があると思うのです。

 

 

川の流れのような人生

 人生は川の流れのようなものかもしれません。山に降った雨が集まり源流となり、そこから少しずつ支流が集まり大河となり海へとつながり、海水が蒸発しては雲となり再び山に雨となって降ります。人生も誕生という源流から少しずつ大きな川となるよう成長していきます。人生も年齢に応じて大河のように大きく深くなっていかなければなりません。同じところに留まっていてはいけないのです。つねに現在進行形で生活したいと思います。


 人生には流れに身をゆだねるべき時と流れに逆らい舵を切らなければならない時があるように思います。ところが、多くの人はゆだねるべきところで抵抗し、抵抗すべきところで任せてしまっているように思うのです。表現を変えれば、できることをしないで、できないことをしようとします。また、認めるべきところを認めず、耐えるべきところで妥協してしまいます。この相違を正すだけで人生はもっとシンプルで楽なものになります。


 判断を誤ってしまうのは意地があるのに意志がないからです。できないことをしようとするのも、認めるべきことを認められないのも意地があるからです。反対にできることをしないのは、安易に妥協してしまうのは意志がないからです。社会も人の心も複雑怪奇に見えますが、意地を捨て意志を磨くならシンプルに納まるようになります。思うようにならない時は自分が意地と意志のどちらを抱えているかを考えてみたいものです。

 

 

あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。今年は新たなる12年がはじまる子年です。ネズミは十二支のなかでは最も小さく弱い生き物ですが活発に動くことから蓄財や子孫繁栄の象徴とされます。小さなことを大切に積小為大の気持ちで頑張りたいと思います。新年を迎えると清らかで厳かな気持ちとなり、初詣では神仏の前で新たなる誓いをします。その誓いを実現させるべく精進したいものです。今年もご愛読ください。新年にあたり皆様の益々のご清福を祈念申し上げます。合掌