自分を感じることができません

 日々の生活においては外界から様々なものが入ってきます。それらをどのように処理するかによって人生が定まってくるように思うのです。外界からの影響は大きく分けて良いものと悪いものがあります。良いものについては、いかに感謝して受け入れるかが問われます。周囲からの善意や配慮に対して感謝できなければ、心ある人々は離れていってしまいます。善意や配慮を受けるに相応しい人にならなければなりません。


 悪い影響については上手に廃棄しなければなりません。日々の生活においては様々な誘惑があり自らの欲を刺激されますが、負けることなく律しなければなりません。また、ストレスや困難もありますが、翻弄されることなく上手に解消したり、成長のための糧としなければなりません。良きもの悪いものを見極めて処理していくことで整理され安定して生活を送ることができます。


 現代社会の特徴に外囲からの影響をまったくスルーしている人々も多いように感じます。善意や配慮にも無関心であり、ストレスや困難も自分で何とかしようとすることはなく、そのまま放置したり誰かが何とかしてくれるのを漠然と待っているような状態です。いわば主体性のない無気力・無関心の生活をしているわけです。自分の人生であるのに、その人生を放棄してしまっては、存在そのものが希薄となり消滅しかかってしまいます。


 生きている実感というものは外界との接触のなかで感じるものです。どのように接触するかで幸不幸が定まってきますが、そもそも接触がなければ虚無となります。自分を見失うことがないよう善悪を判断し、前向きに社会と関わっていきたいものです。