自分の限界とは

 スポーツ選手の引退の話題はよく耳にします。トップアスリートであっても年齢的にも限界を迎えるのは自然なことではないかと思います。若い選手が次々に台頭してくれば、肉体的にも精神的にも限界を感じるようになります。ただ、近年は10代で活躍して20代で限界を迎える選手もおり選手層が厚いともいえますが、10代が人生のピークとなればその後の長い人生はどうなるのかと不安にもなります。


 人は誰しも自分の限界と向き合わなければならない時があります。スポーツ選手であれば引退という選択肢がありますが、人生においては引退することはできません。限界と対峙した時に3パターンがあります。ひとつは強く自分の限界を意識して苦しむタイプの人です。限界と向き合ったまま何もせず苦しみ続けます。ふたつは自分の限界から逃れようとする人です。違う道に進んだり、知らないふりをします。みっつは自分の限界を突破しようとする人です。


 現時点での限界とは自分に与えられたミッションと表現することもできます。ゲームでも必ずミッションを与えられますが、同じようなものと考え楽しめばいいのです。苦しいものと思えば苦しくなり、ワクワクして対峙すれば楽しいものになります。人間には自分の限界を突破して成長するための潜在能力が備わっています。自分の可能性を信じることができれば、本気の力を発揮できます。眠った力を発掘し使いこなすためには時間も努力も必要ですが、あきらめて何もしないよりは、どこかのタイミングで自分を信じて本気になってみたいものです。

 

 

すべては自分にあり

 人はまず相手や社会に変化を望み、その願いが叶わいと相手や社会を怨み嘆きます。その嘆きのなかで心ある人は相手や社会を変えるのではなく自分を変えようとします。ところが、自分を変えようとすることも難しいものです。相手や社会も自分も変わることなく、現在の状況が続いていけば苦悩がなくなることはありません。大なり小なり多くの人々がこの状態にあるのではないかと思うのです。


 私は哲学的な仏教は苦手ですが、仏教の説く認識論とは相手や社会そして自分を変えようとして無理をするのではなく、中身を変えるのではなく見方を変えることを教えているように思いました。見方を変えるということは関係性を変えるということです。相手を自分の思うように変えようとして失敗してイライラする関係を、お互いに無理な干渉をすることなくそれでいて仲良くできる関係に変えるのです。これは何かを具体的に変えるということではなく、見方を変えるだけなのです。相手を自分の思い通りにしたいと思わず、お互いの自由を尊重しようと思うだけの変化なのです。


 人間の幸福・不幸は自らの想いから生まれてくるものです。ほとんど現実の世界は関係ありません。自分がどのように想い感じるかにかかっています。極論すれば周囲がいかに憐れんでも、自分は幸せだと思えれば、その人は幸福なのです。本来、自らの幸福・不幸というものは他人に左右されるべきものではありません。ところが、幸福・不幸の基準や価値観をちゃんと持っていないと他人を頼り左右されるてしまうのです。自分なりのしっかりとした価値観を持って生きたいと思います。

 


 

幸せを望むなら

 豊かな人生のためには豊かな心が必要です。豊かな心づくりは農業に似ています。農地を放置していれば、あっという間に雑草が生え数年で林になります。雑草を抜き肥料をやり手をかけなければ豊かな農地とはなりません。同じように心も手をかけなければ豊かな心にはなりません。何もせず放置すれば無気力・無感動の潤いのない心になってしまいます。放置すればするほど心は荒れてしまいます。


 心も耕さなければなりません。日々の生活において喜びや感謝を味わう、素晴らしい芸術や風景に触れ感動を味わう、心を豊かにするためには心を活発にしなければなりません。また、良いものばかりを選ぶのではなく、悔しい思いや逆境での忍耐も必要です。心を強くするためには負荷をかけることも大切です。日々の生活において意識して、心を豊かにしよう強くしようと思うことが肝要ではないでしょうか。


 心というものは同じ属性のものを引き寄せます。明るく前向きな心は喜びや感謝を、暗く否定的な心は憎しみや悲しみを引き寄せるのです。生きていても何も良いことが起こらないと嘆くならば、まずは自分が求めているものを引き寄せる心にしなければなりません。心は漠然と存在するものではなく、自らの想いでつくっていくものです。どのような人生を送りたいのか、それに相応しい心を耕していきたいものです。

 

 

人間関係の妙技

 最近は人間関係の「ずれ」を感じることが多くなりました。暗黙の了解とか阿吽の呼吸という言葉もありますが、何も言わなくても分かる伝わるということがあったのに、それが分からない伝わらない人が多くなったように感じます。しかも、分からない人に理解してもらうのは大変なことです。分かる人は説明しなくても分かりますが、分からない人にはいくら説明しても分からないものです。


 本でいえば行間を読むという、人間関係における間合いは習得するものです。この能力が低下しているのは、人間関係の経験値が低いということが原因だと思います。まず相手のことを考えることが少なくなりましたし、表面的な付き合いばかりだと、深い所でつながる間合いが分からないままになります。目に見えるところ耳に聞こえるところは表面的なことであり、大切な部分は見えるものでも聞こえるものでもなく感じるものなのです。


 見えない聞こえない所に踏み込む勇気が必要になります。相手のことを想像しようとすると、どうしても否定的・悲観的な想像になりやすいものです。表面では笑っているけれども本心では軽蔑しているかもしれないと考えれば、人間関係が恐ろしくなります。しかし、相手の心を勝手に想像したり解釈するのではなく、相手からの様々なシグナルを読み解いて相手が求めていることを理解することが大切なのです。そのためには様々な経験や失敗を通して人間関係を学び精度をあげていくしかありません。面倒な作業ですが、この作業を通して自分も含めて人間というものを学び、誰とでも上手に付き合えるようになりたいものです。

 

 

日本でも外貨獲得の英才教育

 小学校では国際人を目指すため英会話の授業が始まり、国際競争力を高めるためプログラミングの授業も始まるそうです。最近の小学生は習い事もたくさんあり忙しくて遊んでいる暇がないほどです。海外の勉強できない子供達に支援しましょうというコマーシャルを見ますが、勉強できない子供と同じように遊ぶことのできない子供への支援も必要なのかもしれません。勉強以上に遊びは子供の特権なのではないかと思うからです。


 いわば英会話もプログラミングも大人になってから稼ぐための授業です。北朝鮮のように外貨獲得のための英才教育なのかもしれません。もちろん経済発展も必要なのでしょうが、それ以上に私は稼ぐ能力よりも幸福になる能力のほうが大切だと思うのです。人間の最終目標は幸福であり、幸福と経済的な成功が比例することはありません。いつの時代からか幸福と経済的な成功が同一だと誤解されていますが、その違いを理解しなければなりません。


 平成を生きてきた日本人ならば経済的・物質的な豊かさが幸福に直結しないことは理解できると思います。平成の時代に多くの成功者が没落していき、様々なスキャンダルが起きました。断捨離という言葉がブームになったほど物があふれているのに幸福感は停滞しています。新しい時代を迎えるにあたり、誰もが生きる目的とする幸福とは物質的な豊かさと精神的な豊かさのどちらに属するのかを考えなければなりません。子供達には稼ぐことよりも、幸せになってほしいものです。

 


 

厳しい人を求めて

 真実というものは意外と残酷なものです。的確なアドバイスには厳しさが伴います。どうしても相手の欠点や弱さを指摘しなければアドバイスとはなりません。長所を伸ばすのもアドバイスですが、改善すべきところを指摘することも必要なことです。ところが、厳しいことを言って嫌われるよりは、相手のためにはならなくても、適当なことを言って誤魔化すこともあります。さらには厳しいアドバイスよりも適当な希望や慰めを求めてしまうものです。


 お互いに欠点や弱さを明確にすることで関係がおかしくなるよりも、適当なアドバイスで誤魔化すことを選んでしまいます。厳しいことを言う人も厳しい意見も求められていないのです。ですが、甘えを捨てて厳しい意見に自分をさらしてこそ分かることもあります。どこかのタイミングで厳しさと対峙しなければ、今の自分の問題を解決して成長することはできません。


 私達に必要な人は優しい言葉で甘やかす人ではなく、厳しい意見をくれる人なのです。本気で心配して怒ってくれる人なのです。そういうありがたい人間を遠ざけているうちは本当の信頼関係など築けませんし、成長することもできません。厳しい意見を否定するのではなく、その意見を活かさなければなりません。甘い言葉に安住するのではなく、厳しい言葉と誠実に向き合い、気づきと成長を得たいものです。

 

 

伝える方法

 誰かに頼みごとをするならば快く引き受けてくれる人に頼みたいものです。頼んでも文句を言われる人や恩着せがましい人には頼みたくありません。誰かに相談するならば温かく的確なアドバイスをしてくれる人に相談したいものです。冷たい人間や頼りにならない人に相談しようとは思いません。このように思うのは人間の素直な気持ちなのではないでしょうか。視点を変えるならば、自分は周囲の人から頼みこどや相談をしたいと思われているのか、それとも避けられているのかも考えてみたいものです。


 相手への評価を自分に向けてみることで、今まで気づかなかったことに気づけるかもしれません。人間というものは相手に対しては的確な判断ができるのに、自分に対してはなかなかできないものです。相手に向けている視点で自分を見ることも大切です。自分が相手に求めていることを、自分で実践できるようになれれば魅力的な人間になれるのです。ところが、相手には求めるのに自分はできないということでは意味がありません。


 行動で示すことの大切さを実感しています。口で言うことは簡単なのですが、言うだけで得られるものは何もありません。行動で示すことで着実な成果と成長そして信頼を得ることができます。周囲は見ていないようで見ているものです。見ているものは行動です。結局、私達は行動で示さなければ、伝えたいことを伝えることはできないのです。誰も理解してくれないと嘆く前に、行動で示すことや相手が求める人間になることを心がけてみたいものです。