すべては自分にあり

 人はまず相手や社会に変化を望み、その願いが叶わいと相手や社会を怨み嘆きます。その嘆きのなかで心ある人は相手や社会を変えるのではなく自分を変えようとします。ところが、自分を変えようとすることも難しいものです。相手や社会も自分も変わることなく、現在の状況が続いていけば苦悩がなくなることはありません。大なり小なり多くの人々がこの状態にあるのではないかと思うのです。


 私は哲学的な仏教は苦手ですが、仏教の説く認識論とは相手や社会そして自分を変えようとして無理をするのではなく、中身を変えるのではなく見方を変えることを教えているように思いました。見方を変えるということは関係性を変えるということです。相手を自分の思うように変えようとして失敗してイライラする関係を、お互いに無理な干渉をすることなくそれでいて仲良くできる関係に変えるのです。これは何かを具体的に変えるということではなく、見方を変えるだけなのです。相手を自分の思い通りにしたいと思わず、お互いの自由を尊重しようと思うだけの変化なのです。


 人間の幸福・不幸は自らの想いから生まれてくるものです。ほとんど現実の世界は関係ありません。自分がどのように想い感じるかにかかっています。極論すれば周囲がいかに憐れんでも、自分は幸せだと思えれば、その人は幸福なのです。本来、自らの幸福・不幸というものは他人に左右されるべきものではありません。ところが、幸福・不幸の基準や価値観をちゃんと持っていないと他人を頼り左右されるてしまうのです。自分なりのしっかりとした価値観を持って生きたいと思います。