不動のこころ

 ストレスとなるイライラやバタバタのスイッチをすぐに入れないようにしなければなりません。心が不安定になると自分の弱いところが表に出るようになり、それがまたストレスとなり習慣となり泥沼にはまります。どんとかまえて動じない「不動のこころ」が大切です。イライラするのは距離が近いから、無関心なのは距離が遠いから、程々の距離感で負の感情に巻き込まれないこと、挑発に応じないことです。波が大きくなれば船も転覆しますが、人の心もおだやかでありたいものです。何事もなるようにしかなりません。これはあきらめではなく、達観しなければなりません。ストレスは自分の心が作るものであり、その心を守るのも自分なのです。

猿が教えてくれたこと

 野生の猿がよく遊びに来ます。餌場を見つけるとまずボス猿がお腹一杯に食べます。その間は他の猿はじっと見ています。ボス猿はますます体が大きく強くなり、満足に食べられない他の猿はなかなか強くなれません。野生の厳しさを見たように思いますが、人間の世界も生まれながらに格差があり不平等なものです。ですが、猿の世界に比べれば、人間の世界は自分の気持ちひとつでいくらでも力をつけることができます。


 力にも様々ありますが、自分の適性に応じた力を養うことが大切です。苦手なことよりも得意なことに努力したほうが楽しく成果もあがるものです。陰ながらの努力というものは、誰かに邪魔されることがありませんから、いかようにも力をつけることができるのです。野生の世界では強いものを倒さなければなりませんが、人間の世界では相手を倒すことよりも、自分に負けない継続が求められます。


 野生の世界は厳しく強さを求められますが、人間の世界は強くなくても生きていくことができます。ですが、努力する必要がないということではありません。現状に甘んじても生活できますが、向上心を持って得意なことを作っていく、求められる自分の居場所や役割を作っていく、自分の人生を自分の力で開拓していくことは楽しいことではないでしょうか。

 

信頼あってこそ

 地方にあっては一見さんだけで商売が成り立つことはありません。地域や常連さんの信頼があってこそ良い仕事を継続していくことができます。ですが、信頼ほど脆いものはありません。たとえば10回のうち1回でも欲を出してしまった、イライラしてしまったというだけで信頼は失われてしまいます。いつも変わらず誠意と感謝があってこそ信頼関係が育まれていくものです。ですが、人間の精神状態には波があり、経営も順風満帆とはいかないものです。様々なマイナス要素があっても、そのうえでいかに誠意と感謝を保つかが問われるのです。


 よく付加価値ということを耳にしますが、お客様が価値と感じるだけのメリットがなければ意味がありません。利益というものは求めるものではなく、あとからついてくるものだと思うのです。誰しも風を感じることはできますが、風を追いかけたり捕まえることはできません。追いかけることをやめ待っていると、気持ちのよい風が吹いてくるものです。


 同じように利益もこの世界を巡っていますが、求めるものではないのです。お客様の財布ではなく、心に目を向けてさえいれば、自然と利益はついてくるものなのです。私達はそれぞれに与えられた役割があります。誠意と感謝をもってその役割に励んでいれば、心配しなくても過不足なくやっていくことができるのです。信頼や期待を裏切ることがないよう努めていきたいものです。
 

大切なものは

 新年を迎え今年大切にするべきものは何かと考えました。慌ただしい現代社会においては「あらためて考えてみる」という機会がなかなか持てないものです。そのため惰性の生活を強いられているのかもしれません。ですが、目的や意思がなければ充足した生活はありません。人間の最終的な目的が幸福だとしても、漠然とした幸福というものを、いかに具体的なものにするのか、いかに獲得していくのか、あらためて考えてみる必要があるのです。


 大切だと思うことと大切にしていることは違います。家族が大切だとして、時には面倒だと思っても負担に感じることがあっても、家族の幸せを願って関わることができているでしょうか。仕事が大切だと思っても、それは給料や出世のためなのか、それとも仕事を通して自分を成長させ社会に貢献できるからなのでしょうか。自分を大切にするとは、自分を甘やかすことなのか、自分の可能性を信じることなのか、大切にするといはどういうことなのでしょうか。


 日々の生活を見直して、考えて答えを探して行動して試行錯誤して習慣にしていくという作業は面倒なものです。盲目的に生活しているほうが楽なのですが、それは孤独や虚しさと紙一重の生活なのかもしれません。生きている実感とは、生活のなかに自分の意思が満ちているということが大切だと思うのです。世間の物差しに従う必要はありませんが、自分なりのこだわりを持ち、それを磨いていきたいものです。

 

新たなる誓い

 新年あけましておめでとうございます。新しい年を迎えると清々しい気持ちとなり、今年こそはという想いが生まれます。この想いを忘れることなく、一年間精進したいものです。今年は人生の大きな転機が訪れるかもしれません。人生を大きく変えてくれる出会いがあるかもしれません。今までの価値観を大きく変えてくれるような気づきがあるかもしれません。もちろん待っているだけではなく、自分から求めて生きたいものです。


 年々、一年の大切さや儚さを実感するようになりました。無限に訪れるわけではない新たなる一年を大切にしたいという願いは強くなるばかりです。この一年が私の人生において忘れられない素晴らしい一年となるよう誓いを新たにしたいものです。新年にあたり皆様の益々のご清福を心よりご祈念申し上げます。本年もご愛読ください。合掌

 

簡単ではないこと

  少し前のことですが、当地はいきなりのドカ雪となりました。冬将軍の気配なくあたたかな12月だっただけに、いきなり1日で30㎝を超える雪はこたえました。しばらくは降らないとしても、今回の雪を片付けるのに1週間近くかかりそうです。屋根の雪下ろしもしなければなりません。冷静に考えれば雪が降らかなった今までがありがたいのであり、雪国に住んでいるのであれば雪が降ってあたりまえなのです。ですが、理屈はそうであっても簡単に納得できないのが人情というものです。


 冷静に考えること、道理に照らして考えることが普通にできれば誰も苦労しないものです。悩んでいる時に正論を言われると「そんなことは分かっている。そのうえで悩んでいるんだ」と言いたくなった経験があることでしょう。分かっていることを納得するのに時間がかかる。為さなければならないことに重い腰をあげて実行するのに時間がかかるのが人間というものです。感情と行動のタイムラグを本人も周囲も理解しなければなりません。じっと見守ることが必要なこともあります。


 食べ物も消化するのには時間がかかります。日々の生活においても衝撃的なものほど消化するのには時間がかかります。周囲から見れば「どうしてすぐに動けない」とか「しょうがないだろう」と思うことでも、自分事になれば単純なことではなくなります。人生とは与えられた億劫や苦悩をいかに消化していくかということなのかもしれません。無理なくゆっくりと消化しながら、人生を楽しみたいものです。


 今年もご愛読いただき、ありがとうございました。来年も無理なく更新していきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

 

歩むべき道

 国会議員の裏金問題が社会に衝撃を与えています。擁護するわけではありませんが、新人議員として派閥に参加してみると、先輩達はみんなあたりまえのようにキックバックを受けており、不安はあっても同じようにするしかありません。集団とは個人の判断や価値観より、みんなと同じことを求められます。あまり聞かなくなりましたがビックモーターの不正問題も集団のなかで正しい判断ができなくなった結末のように思われます。


 お釈迦様は「犀の角のようにただ独り歩め」とおっしゃっています。正しいことをしようと思えば、自分の想いを突き詰めようとすれば、周囲に邪魔されない環境も大切になります。集団は大きな力を発揮することもありますが、お互いに足を引っ張ることもあれば、「みんなで渡れば怖くない」の感覚で今回のように問題が起こることもあります。人間には集団所属の欲求がありますが、あえて集団から離れることで得られる環境や心境もあるのではないでしょうか。


 自分というものを確立することができれば、集団への依存や苦悩はなくなります。もちろんその代償として孤独に苦しむようになるのでは意味がありません。大切なことは集団のなかにあっても、一人の道であっても、自分が正しいと思うことができる環境や意思を整えられるかどうかなのです。長いものに巻かれるのが楽であり人の情というものですが、そこを超えた先にこそ歩むべき道があるのではないでしょうか。