決断の秘訣

 今回のコロナウイルス対策として首相が休校を決めました。この記者会見により日本人の意識も大きく変わったようです。翌日にはディズニーランドをはじめ大型テーマパークなども休園を発表し、学校も次々に休校となっています。イベントや卒業式に伴う謝恩会も中止され経済にも大きな影響が出ています。大震災の悪夢再来といった印象です。この状態がいつまで続くのか、早々に終息を迎えることができなければ社会が崩壊してしまいます。


 今回の首相判断はあまりにも大きな影響があります。オリンピックが控えているとはいえ勇気ある決断です。おそらく正しい決断なのでしょうが、批判を避けることができないものでもあります。この判断によって様々な問題が起こり、支持率も低下するかもしれませんし、日本経済に大きな打撃を与え、子供がいる家庭を中心に大きな負担を強いることにもなります。いわば何の得にもならない判断ともいえるかもしれません。しかし英断だったのでしょう。


 大事な決断をするときには保身を考えてはいけません。正しいことが必ずしも自分の利害や周囲の思惑と一致するとは限りません。大切な決断ほどそれらに反することのほうが多いかもしれません。それでもあえて正しいほうを選べるのかが問われます。人生は選択の連続ですが、自分に負けない正しい選択は意外と難しいものです。正直、選択の責任を取ることも周囲からの批判も恐ろしいものです。そんな時には今回の決断を思い出したいものです。

 

 

祈りの利益

 今の日本は良縁成就よりも婚活サイト、合格祈願よりも塾、商売繁盛よりも経営コンサルタント、病気平癒よりも名医探しといった具合に祈りや祈祷というものが失われつつあるように思います。これが現実的・合理的な選択かといえば表面的な結果ばかりを求めているだけのように見えるのです。祈りによって結婚したいという想いを高めることが、結婚に相応しい人間形成の転機ともなり、カタログショッピングではない出会いにつながります。合格したいという想いを高めることで、集中力が高まりますし合格することだけではなく、その後の人生についても考える機会となります。商売繁盛への想いを高めることで、儲けることばかりでなく社会的使命の自覚にもつながります。病気を治したいという想いを高めることが、健康への感謝や残りの人生について考える機会ともなります。


 祈りによって想いを高めるということは、どのような時代であっても大切なことだと思うのです。ご利益ばかりを求めていると、この大切な部分が分からないままとなり、表面的な結果ばかりを求めるようになってしまいます。祈りとは結果を求めることではなく、自分の想いを正しいものへと昇華させ、新たなる気づきを与えてくれるものなのです。私達が道に迷うことなく正しき人生を歩んでいくためには、祈りによって自らの人生を明るく照らさなければならないのです。

 


 

風林火山の如くに

 「あの人は持っている」という場合、それは幸運だったり人望であったりするものです。そういった資質というものは偶発的に備わったものではなく、本人が努力して獲得したものだと思うのです。幸運も人望もつかむものであり、じっとしているだけでは逃げていくばかりです。大事な局面であることを理解し、手を伸ばしてつかむという一連の作業を正しく実行できる人が幸運や人望に恵まれるのです。


 教室でも職場でも自分から手を挙げられる人は少ないのかもしれません。手を挙げるという行為にも様々な苦悩や思惑が伴うものです。しかし、人間は考えれば考えるほど動けなくなるものです。幸運や人望を獲得できる人は最初に動く人です。もちろん考えなしに動いても得られるものではありません。思考力と行動力を磨いて迅速に意義のある行動をしなければなりません。ここぞという時の一歩が大切なのです。


 普通は周囲の思惑や行動が気になり様子を見ながら誰かが動いてから行動するものです。しかし、それでは2番手にしかなれません。競争する必要はありませんが、動くべき時には風のように、落ち着くべき時には林のように、信念をもって発言すべき時には火のように、動かざるべき時には山のように、風林火山を心がけチャンスをものにしたいものです。

 

 

今の自分に限界を感じたら

 今の自分では冷静になれない解決できないと思うような問題があるならば、自分を捨て誰かになりきって考えてみることも必要だと思うのです。どうしても相手とうまくいかないとすれば、その相手の立場や気持ちになって考えてみることで、解決の糸口が見えてくるかもしれません。今までの自分にはない見方や考え方をすることで新しい発見があり、理解不能と思えていたことに親近感を抱けるかもしれません。


 また、尊敬する人物や偉人ならどのように思考するのか行動するのかと考えてみることも有効です。そのためにはその人の人生や哲学を学ばなければなりませんが、その学ぶという作業によって問題に対する態度、解決への熱意や過程なども学ぶことができます。今の自分に足りないものがあるならば、それをどこからか獲得してこなければなりません。それが成長するということだと思うのです。


 ただ気をつけなければならないことは勝手な勘違いです。学んだと思っている本人がいたら、困惑するような都合の良い解釈はいけません。学ぼうとするならば謙虚さと真剣さが大切です。分からないことがあれば辞書を引きますが、同じように人生の問題に遭遇したならば、間違えないよう確かなるものに頼りたいものです。そのためには普段から多くのことを学び、たくさんの選択肢を持っておくことが必要です。

 

 

否定・悲観からの卒業

 自分で勝手な条件を設定しては苦しんでいる人がいます。たとえば幸せな人生のためには年収はこのくらい必要である。結婚するなら相手はこうでなければならない。友達として付き合うならこういう人でなければならない。「これでなければダメ」と自分で決めて、その条件をクリアできずに苦しんでいるということはないでしょうか。子供が100点を取らなければならないと意気込み90点の答案に落ち込んでいるようなものです。


 高い目標を持つことと現状を否定することは同じではありません。目標や理想は頑張るための燃料になりますが、取り扱いを間違えると爆発してしまうのです。八方塞の状態にあるならば、まず自分が否定していることを見直してみることです。あれもダメ、これもダメと否定の連続から明るい希望は生まれてきません。つまらない固定観念を捨てることで、新しい可能性が生まれてくるのです。


 私たちはもっと自由にならなければなりません。自らを拘束する思考から解放されることで、今よりもっと楽に考えることができるのです。自滅する人は考えるほど自分をダメにしてしまいます。否定的・悲観的な思考で物事が好転することはありません。大事なことは自分を大切にできる幸福にできる考え方をすることです。物事は難しく考える必要はありません。楽しくシンブルに考えるからこそ明るい希望が見えてくるのです。

 

 

未来の幸せのために

 子供は宿題よりもゲームです。未来の自分への投資よりも、目先の楽しみに魅力を感じるのでしょう。親に怒られても、後悔しても、今を楽しむのが子供です。


 大人も未来の自分のために投資をしなければなりません。暴飲暴食を避け適切な運動をすれば、未来の自分に健康をプレゼントすることができます。人間関係に配慮してイライラしても我慢して優しい言葉や態度を心がければ、未来の自分に豊かな人間関係をプレゼントすることができます。忙しくても自分なりの趣味を見つけておけば、未来の自分に生きる楽しみをプレゼントすることができます。日々の些細な心がけで私たちの未来は大きく変わっていきます。人生は今日という一日の延長線上にしかありません。


 現代人は今日一日を無難に過ごすことだけで精一杯となり、自分の未来を想像する余裕がないのかもしれません。ですが、そういった生活にはつながりがなく、断絶した日々からは明日への希望は生まれてこないものです。忙しい生活のなかにあっても、今日の努力や忍耐が必ず未来の幸福へとつながっていきます。今日を犠牲にすることなく楽しみながらも、未来の自分のためにプレゼントを贈り続けたいものです。

 

 

人生を楽しむために

 楽しそうに生きている人がいます。どうしてそんなに楽しそうなのか観察してみても、生活に何の心配もないほどのお金持ちということではなく、芸人さんのような芸があるわけでもなく、特別な境遇や才能があるわけではありません。ただひとつ確実なことは人生を楽しもうとしていることです。現代の多くの日本人が時間や仕事に追われストレスを抱えているなかで、ストレスではなく生きることの喜びを抱えています。


 考えてみれば、仕事を楽しもうとしているでしょうか。生活のため一日の大半を嫌々仕事に費やしていないでしょうか。家庭を楽しもうとしているでしょうか。帰る場所がそこしかないからと嫌々帰り辛い思いをして過ごしていないでしょうか。今の自分の生活圏外に楽しみを求めるのではなく、日々の生活そのものを楽しまなければなりません。日々様々なことがあるわけですが、それでも何事も楽しもうとする姿勢が大切だと思うのです。


 たった一度の自分だけの人生をどのように過ごすかは心がけ次第だと思うのです。けして他人から与えられた人生ではなく、誰かによって幸福になったり不幸になったりするわけでもありません。自分が何を求めて生きているかによるのだと思うのです。生きる楽しみというものは日々の何気ない喜びや感謝から芽生えてくるものではないでしょうか。忙しい日々の生活にあっても、そういったものを大切にしたいものです。