否定の先にあるもの

 終身雇用が崩壊しているのに正社員になっても意味がない、みんな離婚するのに結婚しても意味がない、年金は崩壊するのに加入しても意味がない、出世したくないのに面倒な飲み会に参加しても意味がない、あれもこれも意味がないと否定していって最後に残るものは何なのでしょうか。私には意味がないのではなく、自分を信じることができないための言い訳にも聞こえてしまいます。


 誰もが不安と戦いながら前に進むのですが、そのためには自分を信じなければなりません。自分を信じるためには信じるに値するものがなければなりません。それは生まれつき備わっているものではなく、人生のなかで獲得していかなければならないものです。自信というものは基準や数値が決められているものではなく、相対的ではなく感覚的なものです。自信を持つことに根拠や支持は必要ありません。たとえ勘違いでも自信を持っている人のほうが堂々と見え、順調な人生を歩んでいるような印象を受けるものです。


 不安や否定的な態度はさらなるマイナスを招きます。自らの心の状態と同じようなものが集まってくるのです。いかに幸福を願っていても心に不安や否定しかなければ不幸が訪れるのは明白というものです。才能、能力、職歴、役職などに囚われることなく、明るく前向きな人の人生は不思議とうまくいくものです。科学的に説明できるわけではありませんが、幸福だから明るく前向きになれるのではなく、明るく前向きだから幸福になれるということを忘れないようにしたいものです。

 

 

 

国難の今こそ

 個人的には9月入学には反対です。すべて欧米に合わせる必要はなく、日本らしく桜のもとでの新生活が良いのではないかと思うのです。社会の改革とは少数の不満や要望からはじまりますが、大きな枠組みを変える場合の天秤は議論を尽くしたうえで、大多数の利益を選択しなければなりません。まずコロナウイルスの終息を優先させるべきですし、混乱する現場をさらに混乱させてはいけません。また、留学を望む人がどれだけいるのか、志のある人は今までもこれからも現状のままでも留学することでしょう。


 日本は民主主義といいながらも利害関係や組織のしがらみが優先されたり、さらには面倒な人間の意見が却下されることなく通ることもあります。国会から村の会議まで同じような構図なのかもしれません。今回の国家公務員の定年延長法案などはまさにこの象徴的なものです。ですが、考えなければならないことは、どのような問題も改革も満場一致ということはなく、すべての問題をクリアできるわけでもありません。メリット・デメリットを考えたうえで決断しなければなりません。


 日本人は誰かに損をさせる決断が苦手なため棚上げすることが多くあります。もちろん棚上げしても誰かの不都合にはなるのですが、現状不都合を被っている人よりも、自分の決断によって新たなる不都合を生み出すことを恐れるのです。ですが、政治家の仕事とはまさに決断なのです。そして、その影響を受けるのが国民なのです。しかし、その影響の責任は政治家にあるのではなく、その政治家を選んでいる国民にあります。そういう意味では失政は国民の自業自得ともいえます。これから今まで以上に様々な国難が出てくると思うのです。それを乗り越えるためには厳しき目が必要です。国民の厳しさがより良きリーダーを育てるのです。

 

 

匿名という仮面の恐ろしさ

 SNSによる誹謗中傷により悲しい事件が起こりました。あえて事件と表現したのは多人数による殺人ともいえるからです。匿名の世界は人間の悪意を増幅させます。面と向かってなら、名前を出してなら、とても言えないようなことでも匿名なら平気なのです。SNSの普及によって、匿名による悪意もまた広がっています。


 自分がイライラしている時、落ち込んでいる時、心に充満している負の感情を言葉に添えて相手に投げつければ、自分が思っている以上に相手を苦しめ追い込んでしまいます。どこにでもいる普通の人々が匿名の仮面を被り、自分のストレスを発散すべくターゲットを探しネット世界を徘徊しているのかもしれません。


 匿名による誹謗中傷に慣れてしまうと、次は匿名でなくとも現実世界でも同じような行動を起すようになります。モンスターと呼ばれる人々はそうようにして生まれてのかもしれません。言葉も刃物と同じように人を傷つけます。しかも刺した実感がないのが恐ろしいところなのです。口は災いの元といいますが、言葉には気をつけ人を害することがないようにしたいものです。


 事件が起こらないと法律の整備が進まないのはもどかしいのですが、おそらく今回の事件によって様々な規制がおこなわれるようになると思います。そうなったときに今まで誹謗中傷で発散されていたストレスはどこにいってしまうのか。ストレス社会の闇は深く恐ろしいものです。

 

 

 

求めるよりも、ありのままで

 人は何歳になっても成長できるものであり、成長への叱咤激励は必要だと思います。しかし、ある年齢になったならば変化を求めるだけではなく、ありのままの本人を認めてあげることも大切だと思うようになりました。おそらく本人も周囲から言われる前に理解しており努力しているかもしれません。しかし、それぞれに与えられる性格や能力は偏っていることもあり、馴染まないことを習得することは意外と難しいものです。


 人間は好きなことや得意なことは続けられますし成果も得やすいものです。ところが、嫌いなことや苦手なことを克服するのは容易ではありません。誰もが人生のいずれかのタイミングで自らのマイナス部分と向き合うのですが、あきらめてしまう人のほうが多いように感じられます。ですが、忘れていことを突然思い出すことがあるように、昨日までできなかったことが突然できるようになることもあります。無理して続けなくとも、たまに思い出した時には挑戦してることにも意義があります。


 周囲は相手が苦手とすることを求めるのではなく、苦手なことをサポートする心がけが大切です。お互いに苦手なことを補ってこそ円満となります。性格についても一喜一憂することなく、こういう性格なのだとあきらめるのではなく、認めてあげることです。けして自堕落になってはいけませんが、ありのままを認めてもらえると過ごしやすいものです。誰もが完璧ではなく、なくて七癖といわれる悪徳や欠点を持っているものです。お互いに敵意や落胆を乗り越えて仲良く暮らしたいものです。

 

 
 

年齢を重ねて

 年齢によって今まで理解できなかった価値観や魅力に気づくこともあります。場合によっては今までの態度や価値観が正反対になることもあります。それは人としての成長ということであり、今まで以上に自分や相手を理解できるようになったということなのでしょうか。やはり年齢を重ね様々な経験をすることが必要であり、今の思考や価値観に囚われない自由な発想も大切です。人としての成長を重ねたからこその境地というものもあると思うのです。


 今以上のものがあるはずだと無理に求める必要はなく、時の流れのなかで自然と出会うものなのかもしれません。また、変化の先を求めることも必要ですが、変わることのないものを求めることも大切です。時代、社会、年齢によって変わるものではなく、普遍なる真理を求める心も必要なのです。私達には変化と普遍という相反するふたつの真実を両立させなければなりません。変化とは年齢とともに変わっていく真実、普遍とは変わることなく存在する真実です。


 人間は死へと向かい日々変化していくものですから、その状況に応じていくことも必要です。しかし、変化していく存在であるからこそ北極星のような不動なるものも必要なのです。変わらない真理を核としながら、変化に対応していくことで、心が安定するのだと思うのです。今は夢中になれてもすぐに飽きてしまうようなものではなく、終生変わらずに自分を支えてくれるようなものに出会えた人は幸せだと思います。

 

 

新企画のご案内(令和2年6月より)

甲子大黒天本山(きのえねだいこくてんほんざん)

山形県米沢市小野川町2580番地 東北中央自動車道(無料区間)米沢中央ICより一本道で約20分 お問い合わせ先 0238-32-2929

 

子年特別ご朱印の授与
 コロナウイルスからの復興を祈念して6月1日から12月までの期間限定で子年特別ご朱印を授与いたします。「疫病退散・復興成就」の特別印も押印いたします。今年の子年は大黒天のご縁年でもあり、新しい12年がはじまる大切な年です。甲子大黒天本山に参拝し新たなる気持ちで復興に取り組んでいただければと願っております。大黒天にあやかり黄金色で書かせていただきます。

子年特別ご朱印500円 一般ご朱印300円

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色紙おみくじ
 全20種類の色紙おみくじを希望者に授与いたします。1回500円で引くことができ「大響」や「大鏡」などのユニークなものがあったり、大黒天にあやかった金文字の大吉もあります。どの色紙が出るかはお楽しみです。すべて住職が手書きしております。詳しい解説は裏面にあり、このブログのカテゴリー「色紙おみくじ」を検索すれば全種類を見ることができます。

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腕念珠づくり体験
 25種類の天然石から誕生石やご利益などから自由に選んで作っていただけます。自分の腕にぴったりのオリジナル腕念珠をお作りください。完成したら、その場でご祈願してお渡しいたします。甲子大黒天は心機一転、気持ちを新たに頑張ろうと思ったときに参拝するとご加護いただけるとされています。新たなる誓いや願いを込め腕念珠を作っていただくと、災難を払いあなたの願いを成就してくれます。また、昔から疫病を避ける効果があると伝わる天然石も用意いたしました。ぜひ、組み合わせに使っていただければと存じます。お問い合わせ電話0238-32-2929

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無我夢中の本義

 無我夢中という言葉がありますが、無我とは我を無くすと書きます。また、夢中も物事に熱中して我を忘れることを意味します。ただ一生懸命に頑張るのではなく、無我の境地で頑張ることなのです。仏教でいう我とは欲であり打算であり見栄であり、こういったもののために頑張るのではなく、自分のことなど忘れてしまうところに道が開かれるのです。


 人間は自分のためには本気になれないものです。欲のために頑張っても途中で道を間違うものですし、自分のためでは義も志も伴うことはありません。自分のため、家族のため、会社のため、社会のため、世界のためと、自分がどこを目指して頑張るかによって、たとえ同じ努力であっても意識が違えば過程も結果も違ってくるものなのです。普通の生活においては世界のためといってもピンときませんが、たとえばエコバックを使えば地球環境への貢献、地域のお店で食事をすれば地域経済への貢献、やさしい言葉を使えば世界平和への貢献になります。大切なことは何を行ったかよりも、どんな気持ちで行ったかなのです。自らの行いが最終的にどこにつながっていくのか、そのつながりを信じることが大切なのです。


 私は結果に満足することよりも、その志や行為に満足することのほうが尊いと思っています。たとえ小さな行為であっても、それが我執による自己満足ではなく、誰かの幸せや世界の平和を願うものであるならば大きな意義があり、人生を豊かなものにしてくれると思うのです。