あまり責めないでください

 私達には「~しなければならない」という規範意識があります。この規範意識によって悪いことをせず、人に尽くし社会に貢献しようとします。人としての理想を目指すものであり、人生の指針といえます。ところが、規範通りにはいかない事態も起こります。そういった場合に規範を守れない自分を責めてしまうこともあります。


 たとえばテストで百点を取らなければならないと思っている人にとって80点では喜べず、百点を取れない自分は攻撃の対象になります。法律で百点を取ることが義務付けられているのではなく、あくまで個人的な想いなのですが、その想いがどこまでも追いかけてくるのです。また、そういった規範は家族の影響を受け形成されますから、思うようにならない事態が家族にも悪影響を与えます。


 最も人間を苦しめるものは暴力や環境ではなく、自分の考え方なのです。考え方ひとつで人生が大きく違ってくるものです。自分を責めたり縛ったりする考え方を捨てることができれば、ずいぶん楽になれます。生きるための指針は必要ですが、それによって苦しむのは本末転倒というものです。甘えてはいけませんが、ありのままの自分を素直に認めてあげたいものです。

 

大いに心響かせ吉となる

 私達の心は使わなければ衰え無気力となります。また使い方ということも大事になります。相手を怨んだり疑ったりするために心を使うのではなく、感動や感謝で心を活性化することが大切です。そのためには神仏への祈りや周囲の人々との心の共鳴が必要です。親切や善行などによってお互いの善心を響かせ合いましょう。人は心を豊かにすることで、幸せになることができるのです。幸福とは金銭や仕事などの条件によって獲得するものではなく、豊かな心で感じるものです。いかに物質的に恵まれていても心が貧しければ幸せにはなれません。大いに心響かせ、心満たされる豊かな生活をお送りください。

 

希望は足元にあり
 人生おいて「できないこと」ばかりを考えていると絶望の人になります。「できること」を考えられると希望の人になれます。大切なことは「できること」と「できないこと」を見極め、今できることに最善を尽くすことです。できないことを嘆いても虚しくなるばかりです。希望とはどこか遠い世界からやってくるものではなく、今の自分ができることに最善を尽くすところに生まれてくるものです。自分の力を信じてあきらめることなく求めていくことが大切です。希望の光で自らの人生を明るく照らしましょう。(色紙おみくじ20)

 

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完璧よりも程々に

 「水清ければ魚棲まず」という言葉がありますが、人類はより完全なる社会を目指しながらも、失敗や怠慢が許されない社会が到来したとしたら、私などはプレッシャーで夜も眠れなくなるかもしれません。現在の不満だらけの社会でちょうど良いのかもしれません。そういう社会だからこそ同じように私も許されているのです。人に対しては責めるのに、自分だけは許されたいというものは矛盾しています。


 自分も相手も同等に接してこそ道理に適うのですが、自分に対するのと同じように周囲に接するのは難しいものです。世界中の人々が自分だけを優先しようとして、お互いに争っているように思え、その争いが続くうちは平和も完全も実現することはないのかもしれません。ですが、私は完璧な社会よりもお互いの弱さや愚かさを認められる社会のほうが、人を幸せにしてくれると思うのです。


 なくて七癖といわれる人間にとって100点を目指すことは尊いことであっても、その実現は容易ではありません。まして人間は自分ではなく周囲に100点を求めるものです。そうであるならば50点の2人が調和することで、100点を目指したほうが素晴らしいのではないかと思うのです。孤独に1人で100点を目指すよりも、お互いに助け合いながら楽しく100点を目指したいものです。

 

比べなければ安らかなり

 人は周囲と比較しては傲慢になったり嘆いたり忙しいものです。幼い頃より勉強やスポーツで順位をつけられることに慣れてしまうと、何事においても比較し評価するようになってしまいます。ですが、人間は競争するためではなく、幸せになるために生きています。表面的な優劣に一喜一憂することなく、競争ではなく調和によっておだやかに暮らしていきたいものです。人間の尊さとは他者とは比べられない所にあるものです。比べることを捨て、お互いをありのままに認めることができれば、今よりもっと安らかに暮らすことができます。(色紙おみくじ19)

 

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せめて3回は

 お釈迦様が悟りを開かれると梵天というバラモン教の神が、その悟りを広め人々を救うことを勧めます。しかし、お釈迦様は自らが悟った内容は深遠なものであり人々に理解してもらえるか迷い梵天の申し出を断ります。しかし梵天はあきらめることなく3回の説得によって、ついにお釈迦様は布教を決意されたと伝えられます。また、三国志では劉備諸葛亮を軍師に迎えるべく訪れますが、同じように3回目にしてようやく軍師を引き受けました。


 何事三遍といいますが、最低でも思い立ったならば3回はあきらめずに挑戦してみたいものです。たとえお思い立ったとしても何もしないうちから勝手にあきらめてしまう自己完結タイプも多いようです。ですが挑戦→失敗→反省→挑戦を繰り返さないと成功に至ることはありません。泳げない人がいくら水泳の本を読んでも教室で指導を受けても、プールに入ってみなければ泳げるようにはなりません。


 成長や成功につながる人はあきらめない人です。もちろん才能や方法ということもありますが、自分に負けない人でなければ可能性を開花させることはできません。大事な局面で問われるのは、どれだけ好きかということだと思います。好きでなければ続きません。何事に対してもとことん好きになることが大切です。接していれば、その人がどれだけの情熱を持っているかは分かります。そういう人を応援したくなりますし、これだけはというものを自分なりに持ちたいものです。

 

平常心これ道なり

平常心これ道なり
 人生の大事な局面においてこそ緊張や感情を上手に抑え平常心で臨まなければなりません。心の状態というものは人生に大きく影響するものです。いつもおだやかな人はストレスが少なく、周囲からも歓迎されます。人生は山あり谷あり不安定なものですが、平常心を修することによって、社会や周囲に翻弄されることがなくなります。深い湖は表面が波立っても深いところはおだやかなままです。私達も些細なことでイライラすることがないよう深い心でおだやかに暮らしたいものです。(色紙おみくじ18)

 

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あなたを想う場所がありません

 昨年は台風の被害も多くありダムの緊急放流もありました。ダムが決壊することに比べれば緊急放流のほうが被害は少ないという苦肉の策ともいえますが、何事においても限界を超えれば崩壊しますから、崩壊前に上手に抜かなければなりません。たとえばストレスならば我慢の限界前にストレスを発散させなければ、過労ならば過労死前に休養しなければ、本人も周囲にとっても悲惨な結末を迎えてしまいます。


 自分のことで満杯になっていると周囲の人に配慮することはできません。自分の気持ちであふれていれば、相手の言葉、想い、立場など何も自分のなかに入ってこないのです。相手のことを考える隙間も余裕もないのです。自分の気持ちや価値観を整理して、自分の心にスペースをつくらないと、相手を理解したり配慮することはできないのです。人を求めながら、かえって人を遠ざけてしまう人は、自分のことばかりで相手のことを考えていないのです。


 自分のことを不幸だと考える人ほど、不幸な自分に酔い相手のことを考えず、さらなる孤独と不幸に苦しむものです。自分が苦しい時は相手も苦しい、自分の苦しみが相手をも苦しめていると考えることができると、お互いが救われるのです。苦しい時ほど心の在り方が問われていることを忘れないようにしたいものです。どうせならばお互いに楽しく幸せになりたいものです。