否定の先にあるもの

 終身雇用が崩壊しているのに正社員になっても意味がない、みんな離婚するのに結婚しても意味がない、年金は崩壊するのに加入しても意味がない、出世したくないのに面倒な飲み会に参加しても意味がない、あれもこれも意味がないと否定していって最後に残るものは何なのでしょうか。私には意味がないのではなく、自分を信じることができないための言い訳にも聞こえてしまいます。


 誰もが不安と戦いながら前に進むのですが、そのためには自分を信じなければなりません。自分を信じるためには信じるに値するものがなければなりません。それは生まれつき備わっているものではなく、人生のなかで獲得していかなければならないものです。自信というものは基準や数値が決められているものではなく、相対的ではなく感覚的なものです。自信を持つことに根拠や支持は必要ありません。たとえ勘違いでも自信を持っている人のほうが堂々と見え、順調な人生を歩んでいるような印象を受けるものです。


 不安や否定的な態度はさらなるマイナスを招きます。自らの心の状態と同じようなものが集まってくるのです。いかに幸福を願っていても心に不安や否定しかなければ不幸が訪れるのは明白というものです。才能、能力、職歴、役職などに囚われることなく、明るく前向きな人の人生は不思議とうまくいくものです。科学的に説明できるわけではありませんが、幸福だから明るく前向きになれるのではなく、明るく前向きだから幸福になれるということを忘れないようにしたいものです。