公平でなければ

 自分の心が自らの思いでいっぱいになっていると相手のことを考える余地がなくなります。自分の心のなかに相手の居場所を作ってあげることで、相手のことも考えられるようになります。怒りや悲しみといったマイナス感情は心を占領してしまいます。なかなか相手を許せないという時は心が怒りによって占領されており、相手の思いや立場というものを追い出している状態なのです。そんな状態では冷静に相手のことを考えることはできません。


 心を落ち着けて怒りの感情を小さくしなければ相手を許すことなどできません。「反省の態度がみられない」とか「また同じことを繰り返すはずだ」など相手を許さないことを前提にした思考しかできなくなります。心の大きな人はどのような時であっても相手を思うスペースがあるため、プラス感情や道理に基づいて考えることができます。人間関係には必ず相手が存在しますが、多くの場合には相手がどうこうということではなく、自分の問題であることが多いものです。


 人間関係を考えるときには公平性が大切だと思います。自分の心のなかは相手には見えませんが、そこから生まれてくる言葉や行動には自分の心が反映されているものです。身勝手、偏見、憎悪、不信など隠そうとしても思っていれば節々に表れてくるものです。自分の感情に翻弄されているうちは公平に物事を考えることはできません。お互いにとってベストな選択とは公平性から生まれてくるものです。しかもお互いに公平性がなければ良き関係を築くことはできません。心を落ち着けて相手と向き合いたいものです。



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周囲の期待に

 誰かにお願いしなければならない時、どのような人に頼ろうとするでしょうか。私なら嫌な顔をせず責任を持って早くやってくれて、しかも恩着せがましくない人が望ましいと思います。ですから、私も頼まれた時には「快く、責任をもって、早く、謙虚に」を心がけています。逆にこの4点を守れないならば引き受けないほうがいいのです。そうでないと頼ってくれた相手との信頼関係がおかしくなるかもしれません。よく頼まれごとは試されごといいますが、期待に応えられるようになりたいものです。


 頼まれごとは面倒事と思うかもしれませんが、前向きにおこなえば相手からの信頼を得られるだけではなく、様々な経験や人脈も得ることができ、人として成長していくことができます。頑張るほどに頼まれるようになるかもしれませんが、それを面倒と考えるのか、やりがたいと考えるかで、大きく違ってきます。もちろん人間は勝手なものですから、感謝されないかもしれませんし、文句を言われるかもしれません。ですが、相手の評価や感謝よりも、相手を通じて自分に与えられた課題にベストを尽くそうとすることが大切だと思うのです。


 人から望まれると書いて人望といいますが、自然と人が集まってくる人間になりたいと思っています。日々の生活にあってご縁のあった人に対して、どのような態度で接しているか考えてみたいものです。表情ひとつ言葉ひとつで相手に与える印象は大きく違います。まして頼まれごとなどすれば、自らの人となりを披露するようなものです。私達は日々「私はこういう人間ですが、いかがでしょうか」と問いかけているようなものです。無理なく周囲の期待に応えていきたいものです。



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苦しんでいるのは私

 仏教には三毒という人間を苦しめる原因を教えています。それが貪(欲)瞋(怒)痴(愚)です。足りることを知らずに貪り、和を尊ばずに怒り、真理を知らずに苦悩しているのが人間の姿といえます。さらに私は次の3つがさらに人間を苦しめる要因だと考えています。それが「求めること」、「比べること」、「心配すること」です。1日にどれだけこの3つを繰り返しては苦しんでいるのかを考えてみなければなりません。


 最初の求めることは物質的な求めもありますが、それ以上に精神的な求めが人間を苦しめます。相手に対して信頼や愛情を求め、配慮や遠慮を求め、優先や独占を求め、求めることに疲れながらもさらに求めてしまう悪循環に陥ります。比べることは、相手と性格、容姿、能力、学歴、収入、家族、仕事など、そもそも同じ人間なども1人もおらず環境も条件も違うなかで暮らしているのに、比べられないものを比べようとしては一喜一憂しています。心配とは妄想の産物です。少し体調がすぐれないと大病を妄想したり、相手に直接確かめようとはせず妄想したり、会社の業績が低迷すれば根拠なく倒産を妄想したりします。


 相手に求めてしまうのは相手のことを考えていないからです。相手の想いや立場を考え、道理をわきまえるならば、ことさらに求めなくても関係を築けるようになります。比べてしまうのは自分に自信がないからです。自分に点数をつけようとするから相手にも点数をつけ比べてしまうのです。自分の生き方に満足できるようになると周囲に翻弄されることもなくなります。心配が悪いということではなく、何もしないで不安に埋没することがいけないのです。病気が心配なら検査を受け、相手との関係が心配ならちゃんと話し、業績が心配なら仕事を頑張ればいいのです。


 日々の生活において求めること比べること心配することから解放されると楽になれます。心が安定してくると生活の景色は一変します。今まで苦しかったのは誰かに責められていたからではなく、自分で勝手に苦しんでいたことが分かります。精神的な拘束をはずしてしまえば、私達の心は春の陽気のように晴れやかになれるのです。悪習を克服して苦しみのない生活を享受したいものです。



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マイナス関係の増幅

 周囲の人間関係を見ていると意外と似た者同士が険悪だったりします。それはお互いに自分と相手の嫌な所を引き出してしまうからなのかもしれません。誰しも長所と欠点がありますが、お互いの長所をプラスにできる関係と、お互いの欠点をマイナスにしてしまう関係があるようです。他の人だと良好な関係を築けるのに特定の人とはうまくいかないという場合、お互いに波長の合うマイナスが磁石のように反発させるのかもしれません。


 相手に対してイライラする場合、その原因の大半は自分にあります。ひとつには自分の機嫌が悪く誰かにイライラをぶつけて発散したいという場合。もうひとつは自分の嫌な部分を相手のなかに見つけてしまう場合です。自分のコンプレックスなど、見たくないものを相手を通してまざまざと見せつけられることで冷静ではいられなくなるのです。理由が分からず相手にイライラする場合には、自分では意識できていない自らの弱点や欠点が相手に投影されていることもあります。


 相手を通して自分を知るということも大切だと思います。相手に対する自らの反応には必ず理由があります。その理由の多くは差別、偏見、劣等感、優越感、欠点、罪悪感などマイナスのものが多いのですが、それらを解明していくことで原因の分からなかったイライラや不安を解消していくことができます。周囲に翻弄されていると感じるならば、誰かが悪意をもってあなたを翻弄しているのではなく、原因は自分にあると考え究明していくことで、与えられた課題を克服することができます。ひとつの課題を克服するだけでも心は晴れやかとなり、今まで苦労してきた相手とも仲良くできるようになるかもしれません。それはお互いのマイナスを増幅することがなくなるからです。
 



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大きな力を

 私達は感情で生きているため、相手に対する想いが強い力となります。人を怨むことで強くなる人、感謝することで強くなる人、責任を持つことで強くなる人、誰かと力を合わせて強くなる人など様々だと思います。どのような感情であれ我々に力を与えてくれますが、負の感情からは負の力が生まれるため、強い力とはなりますが、その力がお互いに対してどのように働くかには注意が必要です。いつか見返してやると発奮するのか、それとも相手に復讐しようと考えるのか、感情の導き方によって幸不幸が分かれてしまいます。


 相手を想う力とは大きいものであり、相手とどのような関係性を築いていくかによって、私達は一人では得られない大きな力を得ることができます。生きることには苦難が伴うこともありますが、私達はそういった苦難を克服していくだけの力を得ることができるようになっているのです。その力を求めるということは、人を求めるということです。人間は一人では生きられないからこそ、共に生きる人々を求め力強く歩んでいかなければなりません。




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矛盾する目標

 人類の究極の目標は物質的な豊かさと精神的な豊かさの両立、そして地球との調和のとれた生活ではないかと考えています。ところが、物質的な豊かさと精神的に豊かさは比例しないものです。物質的に豊かになると精神的には荒廃してしまう傾向があります。日本においても戦後復興以降は生活は便利で快適になりましたが、日本人が持っていた高い精神性というものが失われていきました。発展途上国の子供たちの無邪気な笑顔は日本の子供達にはなく、日本人が失ってしまったものの大きさを考えさせられます。


 また、物質的な豊かさと地球との調和も相容れないものです。環境破壊なくして文明の進歩はありません。現在の日本でも温暖化や森林荒廃など様々な課題を抱えており、途上国を中心にした環境破壊は世界的な規模で進行しています。地球から見れば人間が新型インフルエンザを恐れるように、地球は人間というウイルスによってむしばまれており、いつしか共倒れになるか地球の自浄作用によって人間が滅びるのかもしれません。


 これからの人類はそもそも相容れない物質と精神、利便性と環境保護という矛盾するもの同士をいかに統合していくかという課題に取り組まなければなりません。どちらかを捨てるのか、それとも上手にバランスを取るのか。いずれにしても簡単なことではありません。大切なことは最も大切なことは何かと考えることです。優先すべきものが分かっていれば迷うことはなくなります。あとは未来に対する危機感の共有だと思います。危機感を共有しみんなで大きな一歩を踏み出したいものです。




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つながりに生きる

 地元のある部落では副住職さんではなく曾祖父の名前で呼ばれます。すでに亡くなって半世紀近くたつ曽祖父なのですが、よほど印象に残っているようです。その部落にお邪魔すると曾祖父の数々の逸話を語られます。私が生まれる前に亡くなっており知らないわけですが、半世紀も人々の記憶に残る曾祖父は素晴らしい人物だったのでしょう。また、婿に入った曾祖父ばかりではなく曾祖母やその父親の逸話も伝えられており、それぞれに尊敬し誇るべきご先祖様です。


 今の私が平穏無事に過ごせているのは祖先の積んだ功徳のおかげだと思います。そのように考えるならば私も祖先の功徳貯金を食いつぶすことなく使わせてもらった分だけでも次の世代に積んでおきたいと思うのですが、浪費するばかりでなかなか功徳を積むことがでず反省するばかりです。自分のことばかりではなく横軸と縦軸で考えことができればと思います。横軸とは家族や友人さらには地域と現世における視野やつながりを広げることです。縦軸とは自分の代だけではなく自分の祖先や子孫、また未来の社会のことも考えらる視点です。


 現在の生活をありがたいと思うならば祖先や周囲に感謝しなければなりません。現在の生活を不満に思うならば自ら反省しなければなりません。これを逆にして順調ならば自分の手柄と考え、逆境ならば周囲の責任と考えると、必ずどこかで報いをうけることになります。生きていくうえで口先の謙遜ではなく、謙虚にありがたいと思えなければなりません。本気で自分以外の力を信じることができ、その力に頼るのではなく感謝できることが大事なのです。つながりのなかで生かされている自分にという存在に気づきたいものです。



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