日本人は古来より朝起きればお天道様に手を合わせ、神仏やご先祖様に手を合わせ、「いただきます」と食べ物に手を合わせ、「ありがとうございます」と人に手を合わせてきました。この合掌によって感謝の心を育み深めてきました。ところが、現代は「ありがたい」が「あたりまえ」に変化してきています。この似て非なる言葉は私達をそれぞれ幸・不幸へと誘います。
「あたりまえ」は不満となり、人間関係においてはイライラとなり争いを生みます。日常生活においてはストレスとなり無関心や無気力を生みます。「ありがたい」と思えれば人間関係は円満となり、日常生活は無条件に満たされるようになります。同じような環境や状況でも、それをありがたいと思う人もいれば、あたりまえと思う人もいます。ですから、「ありがたい」と「あたりまえ」は状況や条件ではなく習慣であり人間性なのです。
誰もが幸福を求めますが、幸福とはどこか遠いところにあるものではなく、「ありがたい」と思える心にあります。朝に目を覚ますことができ、食事ができ、仕事や学校など向かうべものがあり、挨拶できる人がいて、帰るべき家がある。こういった日常をありがたいと思えることが大切なのです。朝には「今日一日よろしくお願いいたします。」夕べには「今日一日ありがとうございました。」という祈りが感謝の心を育んでくれます。静かに手を合わせてみたいものです。