気づきということ

 リモート会議も少なくなり、リアルの会議が戻っきました。先日もある会議に参加しました。たくさんの意見が出たのですが、個人的には意欲が低下してしまいました。ひとつひとつの意見に自分がやるという責任や意欲が感じられないのです。自分ではない誰かがやるべきという前提にたった会議では、会議だけで終わってしまい具体的なものにつながることはありません。有意義な会議とは形あるものに成果につながっていくものだと思うのです。


 日々の自覚と責任が大切だと自戒しています。自分の人生は自分で何とかしていかなければなりません。誰かが私の代わりに、私の人生を生きてくれることはありません。お互いの助け合いは必要ですが、期待するばかり任せるばかりではいけません。想いは必要ですが、想うだけではなくそれを形にするプロセスが不可欠なのです。その有無によって人生が大きく違ってしまいます。


 誰もが幸福を願うわけですが、仏教では自らの幸福は自らの手で獲得するものであり、その幸福とはどこか遠いところにあるものではなく、自分の心のなかにすでに備わっていると教えています。ですが、簡単に気づけるものではなく遠回りして苦労して苦悩して様々な経験のなかから「なんだ、そういうことだったのか」と気づいていかなければなりません。人生に無駄はないといいますが、そう思うためにも謙虚な気持ちでの気づきということが大切ではないかと思うのです。