大いなる働きに

 新米住職としての日々を過ごしていますが、高校の頃までは家業が嫌でしかたありませんでした。絶対に継がないから出て行ってやると宣言していましたが、いつの間にか修行に入り副住職となり今に到ります。修行時代も帰山の頃も志や熱き思いがあったわけではなく、なんとなくでした。しかし日々の法務のなかで、このままではどうにもならないという想いが生まれ、それから様々な企画や改革に取り組むようになりました。


 自分の人生ですが、自分の意思よりも、私的な表現であれば「神仏のお導き」にお任せしたほうが、後から振り返ってみれば上手くいくように思います。運命・天命・御縁など様々な表現ができるかと思いますが、大いなるものの働きというものがあるように思うのです。私などは導かれ助けられてばかりです。大いなるものの働きによって自分では超えられない壁を越えて、自分の世界を広げていくことができるように思います。


 心を静めれば、耳をすませば、お導きは様々あるように思います。前々から思っていることでも、なかなかできないことがあります。ですが、ある日突然それを後押ししてくれるようなことが起こります。その時に思い切って飛び込んでみると新しい世界が広がることがあります。あくまで自分にこだわるのか、流れに乗ってみるのか。この先に何があるのか子供のようなワクワク感で冒険してみたいものです。