悶々とする話

 先日お話をした方がレストランで子供が走っていて危ないなと思っていたら、自分のテーブルにぶつかってきたそうです。とっさに手を伸ばして子供の頭を守ったそうですが、その衝撃で自分の手がテーブルにぶつかって痛い思いをされたそうです。すぐに子供の母親がやってきたそうなのですが、何も言わず子供を連れて行ったそうです。ご本人いわくお礼を言ってほしくてやったことではありませんが、悶々としたとおっしゃっていました。


 親切をすればお礼の言葉があり、被害を受ければ謝罪の言葉があるものです。お礼も謝罪も義務ではありませんが、社会的なマナーとして認識されていました。子供が危なければ損得や称賛など関係なく自然と体が動くものですが、それとは別に助けてもらった親が為すべきことがあります。当然の反応がないと、それを求めていたわけではなくても、悶々とするのは人の情といえるのかもしれません。


 現在は「別に頼んだわけではない」とか「あなたが勝手にやったことだ」と言われてしまいそうです。ですから、自己完結の行動が求められるようになるのかもしれません。自分でおこなって、自分で満足するということです。自分が正しいと思ったことに努めるだけで、他には何も求めないということです。これなら結果や相手によって悶々とすることはなくなります。ですが、なんだか寂しいような気がします。やはりお互いに「ありがとうございます」や「ごめんなさい」が素直に言えるようになりたいものです。