失われた個性

 個性の時代といわれながら、個性が失われつつある矛盾を感じることがあります。無関心や無感動から個性が芽生えることはないように思います。「どっちでもいい」とか「なんでもいい」という言葉を聞くと、相手の意思を感じることができません。個性とは表面的な趣味や服装ではなく、自分の意思や価値観から生まれてくるものなのですが、そういったものがなければ個性も存在しないと思うのです。


 自分の想いを封印して相手に合わせるのは楽なのかもしれませんが、相手が何を考えているのか分からないと、理解することも信用することもできません。苦手なタイプの人間よりも、理解できない人間のほうが恐ろしいものです。相手の意思や価値観が分かってこそ、安心して付き合うことができます。「私はこういう人間です」と説明しなくても伝わるのが個性というものです。


 言葉巧みに話す人が個性的ということではありません。意思があり一貫している人、熱中できるものがある人、自分の居場所や役割を持っている人、何より自分の人生を楽しんでいる人なのだと思います。誰かのために生きているわけではなく、何の目的もなく生きているわけでもなく、「これが私の人生だ」と、たとえ根拠はなくても宣言できるようなバイタリティーを持ちたいものです。