自分でたどり着いたもの

 仏教などは保守的なイメージがありますが、もともと仏教も各宗派も最初は新興宗教でありました。長い年月が経つことで新興から既成となり保守的な体制に変わっていきました。私などは新しいことに挑戦したいほうで色々な試みをしております。ですが、やってみると今までのスタイルが良かったと思い至ることがあります。それは色々やってみたからこそ納得して分かることなのかもしれません。個人的には何もやらずに同じことを続けるよりも、様々な経験をしてからたどり着いたもののほうが価値があり大切にできるのではないかと思うのです。


 伝統文化の世界であれば簡単に新しい挑戦などできないかもしれません。先人が守り伝えてきた伝統というものは軽いものではありません。ですが、守破離という言葉があるように、まずは基本を大切に守り学ぶこと、そこからあえて違う型も学ぶこと、さらには型を離れて自分の境地を目指すことも必要ではないかと思うのです。ただし本県出身である無着成恭さんは「型がある人間が型を破ると『型破り』となり、型がない人間が型を破ったら『形無し』」と言っておられるように、何事も基本あってこそのものなのです。


 与えられたものに盲目的に従うのではなく、たとえ失敗しても遠回りしたとしても自分なりの挑戦や試行錯誤が必要だと思うのです。若い人などは無謀なほどの挑戦でも良いと思うのです。暴走するくらいの熱意があったほうが好感が持てます。可もなく不可もなく、上手に空気を読んで、失敗しないよう保険をかけて、無関心を装ってというのではなく、しっかりした自己主張と行動があってこそ、成長することができるのではないかと思うのです。