信じて待ってみる

 この社会に対して憤慨したり失望することがあります。そういった人々の想いが人類の進歩につながってきたと思うのですが、基本的に人間が作り出す社会である以上は完璧であることはありません。社会に対する憤慨や失望は、正しくあるべきだという思いがあるからです。理想と現実を区別せず混同してしまうと、マイナスの感情に支配され心が安定しません。


 社会を善悪や正誤で計るべきではないのかもしれません。社会は完成されたものではなく、いわば発展途上にあり失敗を繰り返しながら成長していきます。憤慨しても失望しても、仕方がないのです。牛歩のように遅い歩みでも信じて見守るしかありません。戦国時代や明治時代と比べても現代の生活水準は飛躍的に進歩していますが、そのためには長い時間が必要でした。


 今の日本は政治・経済・教育どの分野も停滞しています。ですが、失望してあきらめてはいけないのです。良いところも悪いところもすべて含めて認めてあげるしかないのです。人間関係においても、現時点での相手を評価するのではなく、長い目で見守ってあげることも必要だと思うのです。そして社会も相手もその可能性を信じてあげることができれば、自分も救われるのかもしれません。