御心に近づく

 夕方のお参りでは順調だった一日とうまくいかなかった一日と同じようにお参りするのが難しいものです。順調だった時には素直に感謝できるのですが、不調だったり失敗した時の感謝は難しいものです。そもそもどのように感謝すればよいのか。不調も失敗も授かりものであり、意味があると考えることもできますが、そのように考え心から感謝できるようになるには人間的な成長が不可欠です。


 ご利益があれば信じ、なければ信じないというのは表面的な信心だといえます。そこから進んでご利益があってもなくても、変わらぬ信心を養うのが修行というものです。それはご利益を求めるのではなく、どのような一日であったとしても感謝できる心であり、自らの願いを他力本願に求めるのではなく神仏への誓いとして精進することだと思うのです。神仏とはご利益の対象ではなく、感謝の対象であり、自らの精進を見届けてもらう対象でなければなりません。


 自分の考えと神仏の御心がシンクロしなければ、感謝も平安も遠のいてしまいます。神仏の御心をどのように考え、どのように近づくのか。盲目的に祈るのではなく、祈りの質を高めていくことが求められます。本や経典を読んでも理解できることではなく、日々の祈りのなかで体得していくしかないと思うのです。まずはいかなる一日であったとしても同じように感謝できる心を養いたいものです。