ありのまま、そのまま

 修行時代を思い出せばまるで我慢比べのようなことをしていました。ですが、修行をしたから熱いのが平気になったり、寒いのが快適になることはありません。すでにお釈迦様が難行苦行には意味がないとおっしゃっているのに、2500年経っても同じことをしているのはどうしてなのでしょうか。おそらく自分で経験してこそ本当の意味で理解できるということなのでしょう。経験の伴わない知識は役に立つものではありません。本当のところはやってみなければ分からないのです。


 私なども暑い時には暑いし、寒い時には寒いし、死というものも怖いものです。仏教はこういったことを超越するものではなく、そのまま素直に認めることだと思うのです。意地を張ったり無理をするのではなく、ありのままそのままでいいのです。楽しいなら楽しい、怖いなら怖いでいいのです。余計なことを考えず素直に物事を受け入れていくことで、人生はシンプルになります。整理整頓された部屋は広く居心地が良いように、人生もシンプルにまとまっていると快適なのです。そのためには多忙な日々や苦悩なる日々など様々な人生経験があってこそ到達できる境地なのかもしれませんね。何事も経験です。