幸福のありよう

 人は幸せになるために生きているはずなのですが、求める幸福は人により様々です。また、年齢によっても求めるものが変わっていくようで定義は難しいものです。私達は幸福という漠然としたものを、もっと鮮明にシンプルにしなければならないのかもしれません。幸せになりたいと願いながら、その幸せが分からないのでは、幸せになることはできません。


 結婚する時には「幸せな家庭を築こう」と誓うわけですが、もっと具体的に、もっと計画的に、もっと詳細に考えなければならないのかもしれません。それは甘い夢を崩壊させる面白みのない愚行なのかもしれませんが、夢はさめるものであり、人生は長く続くものです。幸福は自ら作るものであり、適当に作るよりも、ちゃんと作っていきたいものです。


 私は外的条件や物質的条件に翻弄されないことが大切だと考えています。○○できなければ、○○がなければ、○○してもらえなければ、という自分の幸福に条件をつけてしまえば、その条件が満たされない限り幸福にはなれないことになってしまいます。幸せは心で感じるものですから、心を豊かにすること、そして幸せを感じられる関係性や時間を育てていかなければなりません。人生も折り返しを過ぎれば、肉よりも魚が美味しく感じるように、外的条件や物質的条件を求め翻弄されるのではなく、おだやかな時間のなかにある幸せに帰結していくのが古今東西の幸福のありようなのではないかと思うのです。