智慧は達観、祈りは平安

 先日ある観光の講演会に参加してきました。地元温泉街のまちづくりに参加しているため様々な観光の経験もしてきました。20年前頃から観光まちづくりの取り組みが始まり、湯めぐりなるものがブームになりました。そこから観光圏がありインバウンドがあり、今回は観光地域づくり法人の講演会でした。どの世界にも次々に新しい活動が登場してくるものです。そして歴史を紐解けば、一定の周期で同じようなものがグルグルと回っているだけなのかもしれません。


 時代の波に翻弄されているだけなのかもしれないと思うことがあります。人間の生活は時代や社会から大きな影響を受けています。自分で考え判断しているようでも、それはその時代に即した価値基準での判断でもあります。時代の変化が激しくなると、ついていくのも、ついていかないのもストレスになります。基本的に人間は何も変わらない生活を求めるものであり、変化は刺激でもありますが、ストレスでもあるのです。


 自分が住む時代や社会がいかに荒れていようとも、我関せずということではなく、その一員として義務と責任を全うしながらも、けして翻弄されることなく生活するのが仏教だと思うのです。現在は新型コロナウイルスという未曽有の嵐のなかにありますが、生活していられることに感謝し、春が来ない冬がないようにコロナ禍も終息することを信じ、おだやかにその時を待ちながら生活できればと思います。仏教の智慧は達観となり、祈りは平安となるのです。