苦悩する時には

 ひとたび芽生えた衝動はなかなか抑えられるものではありません。誤魔化そうとするほど根を張り成長していくように感じることがあります。人間のマイナスの感情というものは恐ろしいものです。誰にでも善悪の区別はありますが、衝動というものは理性による制御をはねのけ、超えてはならない一線を越えるよう背中を押し続けます。


 仏教の修行とは自分の心に翻弄されないためのものです。憎悪や欲望を苗床として苦悩や不幸が生まれてきます。心が清く正しければ苦悩や不幸も存在しないことになります。もちろな、それは理想なのかもしれませんが、相手や社会を憎むことが自らの不幸につながること、欲に惑わされることで苦悩が生まれることを知っていれば対処もできるかもしれません。


 哲学は頭の中で完結する知的作業ですが、修行はどちらかといえば現実的な作業が伴います。読経は声を出し、写経は筆を使い、掃除は全身を使います。心以外のどこかに集中することで、心に巣食うマイナスの感情が小さくなるのです。人間は考えれば考えるほど囚われます。仏教的なものでなくてもかまいませんが、悩んだ時には思い切って体を動かしたほうが楽になれますから、試してみてください。私のお勧めは掃除です。部屋を綺麗にすると心も清らかになります。