心が満たされる

 親切や善行にも様々な余裕が必要なのかもしれません。自分のことで精一杯の人は周囲や社会に目は届かないものです。最低条件として自分の生活が成り立っていてこそ、誰かのためにという想いや行動が生まれてくるのかもしれません。優先順位は誰にでもあり、順次満たされていくことで、より広く自分の親切や善行を届けられるようになります。


 ですが、大切なことは満たされることを待っていることではなく、また満たされる条件を数えることでもありません。自分が満たされてこそ、周囲や社会のためにも生きることができるわけですが、自分を満たすものは、外的な要因ではなく、自分の気持ちひとつなのです。日々の暮らしに満足し感謝できる人が満たされている人なのです。満足や感謝に条件をつけようとする人は、いつまでも満たされることはありません。そのためいつまでも親切や善行ということにはつながりません。


 満足し感謝できる人は、自然と安らかな気持ちで生活できるようになります。その気持ちから親切や善行が芽生えてくるのです。けして道徳や義務ということではなく、人を想うやさしい気持ちの表れなのです。おそらく満たされようと思って満たされている人はいません。特別な何かがあるのではなく、自然と満たされているのです。井戸も自然と水が満ちてくるものですが、私達の心も枯れることなく満たされるようありたいものです。