自分の活かすということ

 淮南子という書物のなかに「行年五十にして四十九年の非を知る」という一文があるそうです。人間はつねに謙虚な反省が必要であり、自らの非を素直に認めることの大切さをあらためて教えられた言葉です。人間は年齢と共に注意されることもなくなります。それは欠点や失敗がなくなったからではなく、見て見ぬふりをしているだけなのです。注意されないから問題はないと思ってしまうことは危険なのです。注意されないからこそ、自分で気をつけなければなりません。それが非を知るということです。


 私は何事においても「あがる」か「さがる」しかないと思っています。たとえ緩やかだとしても、どちらかに傾いているのです。向上のためには、悲観して自己嫌悪に陥ることなく、楽観して傲慢になることなく、正しく自分を見つめなければなりません。人間は必要とされているうちが幸せなのだと思うのです。社会や周囲から求められる人間になるためには、まずは自らを知り、自分の活かしかたを知らなければなりません。