心の環境

 仏教に自浄其意(じじょうごい)という言葉があります。自らの心を清らかに保つことてす。溜めた水はだんだんと濁り腐ってきます。川のように流すか、新しい水と交換しなければなりません。私達の心もだんだんと飽きてくる、慣れてくる、侮ってくるものです。こういった心の濁りを浄化しなければなりません。中国の古典に「日に新たに、日々に新たなり」とありますが、いかに自分の心を新しくしていくかが問われます。


 また、人間の最大の敵である不安、疑惑、憎悪も清めていかなければなりません。こういったものは長く居座るほど大きくなっていきます。仏教を知識として習得しても、自らの心をコントロールすることはできません。様々な苦悩のなかから学んだことが、仏教の智慧につながっていきます。苦悩があってこそ智慧が生まれるのです。苦悩こそ仏教を学ぶ素晴らしい師でもあります。苦悩から逃げることなく、正直に向き合う先に光明があります。


 人間の心というものに完成ということはありません。家も毎日のように掃除しなければなりませんが、心も同じように掃除しなければなりません。どのような人にも不安、疑惑、憎悪がありますが、それらをきれいに掃除しているのか、そのままにしているかで大きく違います。住んでいて心地よい心となるよう環境保全に取り組みたいものです。