授業で必要なのか

 「学習指導要領」の改訂により、高校で金融教育の授業がはじまるそうです。はたして金融の授業が必要なのか疑問です。政府は投資を促進させようとしています。経済成長の安定化といえば、眠った資産の活用といえば、大義名分に聞こえます。しかし、どうしても汗を流して働くといった仕事のイメージからは離れてしまいます。楽して金儲けとまではいいませんが、何でもアメリカの真似をすればよいというものではありません。


 そもそも資本主義発展の要因の一つにプロテスタントの勤勉と清貧があったとされます。働くということに意義を見出していた人々にとっての副産物が資本でした。この発想はプロテスタントばかりではなく、仏教においても日本においても同じような感覚で働いていました。お金のために働くのではなく、神仏のためであり社会のために働いていたのが以前の労働観でした。まさに働けることが喜びでした。バブル崩壊後は働くことの喜びというものが失われていきました。


 世界においても勤勉な民族とされてきた日本人ですが、その美徳を失い嫌々働きながら投資に夢を求めようにはなってほしくありません。教育は時代に応じて変化していくものです。新しい時代の科目も必要ですが、不易流行や温故知新という言葉がありますが、その本質を見失ってはいけません。働くことの尊さとお金の大切さを学ぶ授業になるのか、それとも政府の思惑に踊らされるのか、教える先生も生徒も授業ばかり増えて大変です。