コロナの責任は誰に

 子供は自分の責任を認めることを嫌がり、誰かのせいにしようと頑張ります。どう考えても無理のある話を必死にしている姿には、呆れながらも微笑ましさもあります。しかし、それは子供だからであり大人が必死に責任転嫁している姿には目を覆いたくなります。誰かの責任にしてしまえば楽になれるというものは勘違いです。自分の責任をちゃんと認めることが大人の対応ですし、その姿に周囲は信頼を深めるのです。そして失敗を挽回するチャンスもめぐってくるのです。


 犯人を捜そうとする姿勢は慎まなければなりません。誰かを犯人にして自分を守るのではなく、まず被害者意識を捨てなければなりません。強大な陰謀に巻き込まれたのではなく、単に自分が失敗しただけなのです。もっとシンプルに素直に考えればいいのです。自分を守ることと他人を責めることは同じではありません。本当は他人を責めただけ自分を傷つけ、さらに損をしているのです。そのことに気づかなければなりません。


 人生においては誰のせいでもないことがたくさんあります。今回のコロナ禍において会社が倒産してしまったとしても、中国政府のせいでもなく総理や知事のせいでもなく、しかたのないことなのです。誰を責めても自分を責めてもどうしようもありません。この「しかたのないこと」という感覚で心身をおだやかに保つことで、進むべき道が見えてくると思うのです。怒りや失望に翻弄されることなく、認めるべきを認め、改めるべきを改めたいものです。