お盆ということ

 まもなくお盆を迎えます。今年は帰省の自粛が呼びかけられるなど、例年とは異なるお盆になるかもしれません。ですが、先祖供養というお盆の意義は変わりません。実家に帰って仏壇やお墓にお参りできなくとも、実家の方角を向いて静かに手を合わせ、ご先祖様に感謝の誠を奉げたいものです。いかに距離があっても祈りというものは届くものなのです。


 スーパーのチラシを見ていてもお盆の過ごしかたの変化が分かります。私は形が変わっても心だけはご先祖様に向けていただきたいと思っています。仏壇に手を合わせるだけでも、自然と気持ちもあらたまります。自分が先祖の仲間入りをしたときに、せっかく帰ってきたのに、誰も見向きもせず煙もくもくと焼肉に興じているのは寂しいと思うのです。せめて故人の話を子や孫に伝えたり、気持ちだけでも一緒に食べてほしいと思うのです。


 先祖の誰か一人でも欠けていれば、今の私は存在していません。人生100年といわれる時代ではなく、生き残るだけでも大変だった時代のほうが長いのです。厳しい時代に負けることなく命のバトンが私のところまで伝わったからこそ、この命があるのです。生まれる場所や親を選んできたのではなく、いただいた命だからこそ自分だけのものではなく、すべての人に感謝しなければならないのです。感謝とは人間だけに許された尊い行為であり、人間のなかでも心が豊かな人でなければ感謝することはでず、感謝の心がなければ幸せを感じることもできません。ご先祖様への感謝こそが源泉であり、手を合わせることで感謝の心が育っていくのです。