平等とはならず

 新型コロナウイルスが再び蔓延の兆しにあります。ずいぶん前から「夜の街」での感染拡大が指摘されていましたが、経済活動優先のため見過ごされてきました。その結果が1日100人の感染者につながったのではないかと思うのです。新しい生活様式とかwithコロナといわれますが、これらはすべての人に平等なわけではありません。新型コロナウイルスによって飲食店や観光は大打撃を受けていますが、スーパーやゲームなどは自粛生活によって売上を伸ばしています。


 光があれば影もあるもので、新型コロナウイルスにしても人生においても不平等はあたりまえであり、そのうえで自分が置かれた立場でどのように最善を尽くすかが問われます。全体としても、すべてを救えるわけではなく、救えない部分をできる範囲でどのように処するかが問われます。批判を恐れ為すべきことを為さないのは怠慢であり、さらなる事態を招くことになります。すべてを個別に救済することはできず、全体のなかで何を優先するかが問われます。


 何かを優先すれば、何かを切るということになりますが、それが決断というものであり、その責任が政治家にはあります。批判を恐れ決断できなければ資質がないということになります。正しいと信じるならば犠牲を厭わないというのが欧米ですが、非常時においては必要なことなのかもしれません。何事も最初が肝心であり、小さい炎は簡単に消すことができるのですが、これからどうなっていくのでしょうか。