豪邸にあこがれる愚かさよ

 尊敬する大先輩から聞いた話です。その大先輩は学生時代に新聞の配達と集金をしていたそうです。ある大きな屋敷に集金に行ったら裏口に回れといわれ、裏口に行ったら月末でなければお金は払わないと追い帰されてそうです。別日、今度はボロボロの家に集金に行ったそうです。そしたら釣銭で買い物を頼まれました。しかたなく買ってくると「どうせ、ろくなものを食べてないのだろう」と買ってきたものを食べなさいと渡されたそうです。


 いつもお金をケチっているからこそ大きな屋敷となり、いつも親切にしているからこそボロボロの家なのでしょう。そのように考えるならば、住んでいる家だけで相手を判断しようとは思わなくなります。お金があるから幸福ではないと思いながらも、裕福な生活にあこがれるのが人間というものです。ですが、よくよく考えてみれば正しくはない価値観や判断基準を改めなければなりません。


 せっかく気づいたのに一時的なことで、あとは相変わらずということでは意味がありません。教訓として、感動して、苦労して、学んだことは長く心にとどめておかなければなりません。頭に知識として蓄積するのではなく、心にとどめておくことで大事な時に活かすことができるのだと思うのです。同じ失敗を繰り返すのは心の底から学んでいないからなのです。単なる知識や記憶にすることなく、大いなる学びとしたいものです。