知識と智慧

 日本でもっとも有名な経典である般若心経の「般若」には智慧という意味があります。学校の成績が良いという場合は智慧ではなく知識だと思うのです。高学歴でも世の中のことが分からない人も多いものです。賢い人間とは知識豊富な人ではなく、この社会のなかで無理することなく上手に生きていくことができる人ではないかと思っています。愚かなことや危険なことを避けることができ、相手に応じて付き合うことができ、自分のことが分かっており、自分らしく生きることができる人ではないでしょうか。


 般若の智慧とは道理をわきまえるということです。道理とは自分にとって不都合な真実と表現することができます。自分も必ず老いて死んでいくという真実、たとえ自分の子供であっても思い通りにはならないという真実、この社会ではどんなに懇願しても自分が優先されないという真実、人生の大半は思うようにはならないものであり、このことを身をもって学ぶということが道理を理解するということになります。


 ある本で「安らかな死顔の人は、その遺族から生前の話を聞くと自分の死ときちんと向き合っていたことが分かる」とある納棺師の方が書いていました。人生最大の不都合ともちゃんと向き合えばこそ安らかに暮らすことができるのです。智慧というものは学ぶものではなく修めるものだと考えます。人生は修行であるといわれますが、自分に与えられた課題を基にきちんと修行することで、智慧が備わるのではないでしょうか。