否定も期待も

 自分の弱い部分というものは否定したくなるものです。自分のことは誰より分かっているつもりですし、周囲も直接間接様々なメッセージを発しては改善を促します。ですが、長く生きるほど今まで克服できなかったからこその欠点なのですが、それもまた自分の一部であり愛おしいような気もしてくるのです。自分の体を上下に分割できないように、性格や長短というものも分割できないものなのかもしれません。そんな自分と上手に付き合っていかなければなりません。


 自分を否定するほど苦しくなり、また期待するほど苦しくなります。否定と期待の中間にあたる曖昧な位置づけも必要なのかもしれません。「ほどほど」とか「まあまあ」といった可もなく不可もないようなバランス感覚を養うと楽になるかもしれません。惰性に流されるということではなく、まずはすべてを含めて自分という存在を認めるということです。否定せず期待せずありのままの自分でいることを許してあげます。


 今の自分が存在することを許したうえで、自分という人間を育てていくのです。それは良識ある親が子供の成長を願いあたたかく見守る感覚です。できないと叱りつけたり、待てずに急かすのではなく、信じて見守ることが大切です。そうして育てられた子供は健やかに成長していきます。自分という人間を育てる場合も、自分が親に求めていたようなことを自分にしてあげます。子供というものは無条件に可愛いものです。自分に対しても無条件に愛おしみ、そして信じてあげたいものです。

 

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