積小為大

 最近、何事にも手応えを感じられるようになりました。修行が終わって帰ってきたばかりの頃は何をするにも未熟で緊張し自己嫌悪の日々が続きました。そんな状態から少しずつ慣れていき、認めてもらいながら気がつけば20年近い歳月を歩んでいました。わずか3年や5年で大きく変わるわけではなく、積小為大という言葉の通りに日々の積み重ねがある一定の年月や能力に到達することで、大きく変わっていくのだと思うのです。


 たとえるならバケツに毎日水を注ぎ、そのバケツが満杯になった時に開花するようなものです。ただし、毎日どのくらいの量の水が注がれているのか、またバケツの大きさも分かりません。目で確認できないことを続けることは困難であり、忍耐を求められます。満杯になる日がいつ来るのかも分からないまま、ただ待つのではなく努力と忍耐の日々を積まなければなりません。私のように逃げられない状態であれば、紆余曲折を経ながらも進んでいくしかありません。他の人ならもっと早くたどり着いたかもしれない境地でも私には私なりの時間が必要でした。


 人は誰しも与えられた道を歩んでいるものです。その道は転職したからリセットされるというものではありません。すべてはつながっており、けして逃げることのできない自分という存在とひたすら向き合っていかなければなりません。自らと誠実に向き合うなかで、それぞれに与えられた課題を解決していくなかで、自分が求めているものが開花するのではないでしょうか。継続は力なりといいますが、バケツが一杯になるまで日々を積んでいけるかどうかなのです。