ケンカに見える相手の本性

 戦争をする人に悪い人はいません。お互いに自分の正義と愛する人を守るために戦争をするのです。これは世界の古今東西すべての戦争に合致することではないかと思うのです。同じように悪いことをする人も自分が悪いと思ってしているのではなく、自分を正当化しているのです。ほとんどの人々は善悪の区別をつけることができます。しかし、そのうえで自分がおこなうことについては正当化してしまうから、この世界から犯罪やイジメはなくならないのです。


 自分は間違っていない悪いの相手でありこの社会であるという想いが、自分を正当化し悪いと分かっていることでも実行可能にしてしまうのです。周囲から見れば、想っていること、言っていること、やっていること、すべて矛盾していますが、人間というものは自分のことになると、その矛盾に気づけないものです。ケンカをしてもお互いに意地を張っているうちは解決することはありません。しかし、どちらかが素直に謝ればたちどころに解決します。 


 社会ではいつまでも意地を張る人間を評価せず、素直に謝れる人間を評価します。それは自分は正しいという想いに囚われず、ちゃんと自らのおこないを検証し反省することができるからです。喧嘩両成敗といいますが、お互いに非がなければケンカは成立しません。自らの正当性を主張するよりも、自らの非を認められる人間のほうが格段に優れているのです。自らの主張に終始する人はどこにいっても争いと孤独に苦しみ、自ら反省できる人はどこいっても尊敬されるものです。