嫌いなままでも

 嫌いな人を好きになろうとすると、かえって嫌いになることがあります。信じようとすればするほど、不信との戦いになることがあります。何事も無理をして克服しようとすると逆効果になるということがあります。「○○しなければならない」とか「○○してはいけない」と自分を縛るほど苦しくなってしまいます。私達の生活の根底には道徳があります。今の日本では道徳が崩壊していると嘆く人もいますが、それでも大多数の日本人は道徳的・良心的な生活を送っているように思います。


 「できる・できない」は別にしても、各人の心には道徳的な規範というものがあります。この規範によって社会は維持されるわけですが、正しく実践できない規範は私達を責め苦しめることもあります。たとえば学校では友達と仲良くしましょうと教えられます。ところが、30人の同級生がいれば相性というものがあり、誰とでも同じように仲良くできるわけではありません。自分とは合わないと感じる苦手な人がいた時に、仲良くしなければならないという道徳的なメッセージは、仲良くできない自分を責めます。


 本音と建前、理想と現実を上手に区別できる人は自己嫌悪を回避できますが、道徳的メッセージと正面衝突してしまうと自分を追い込んでしまいます。あなたが嫌いですと宣言したり態度で表明する必要はありませんが、嫌いだという自分を否定しなくても良いと思うのです。自分の想いを否定することなく、大人として対応するのが最善ではないかと思います。自分の心まで無理して変えようとするのではなく、行動と心の矛盾を認めてあげることで、ずいぶん楽になるのではないでしょうか。