人生の制限を考える

 この命というものは買ったものではなく与えられたものです。私達は誕生日も両親も選べないまま気づいたら人として生を受けていたのです。これはどのような偉人であっても同じであり、自分の名前も通う幼稚園も自分で決められるものではありません。大人になれば自らの意志と選択で生活しているように思いますが、就職も結婚も相手がいることであり、勝手に決められるものではありません。今日の昼食であっても誰かと一緒に食べるならば相談しなければなりません。


 私達は1人では生きられないという、不自由な生活を強いられています。ですが、不自由と考えるのか、いただいた命を誰かと共有して生活していると考えるかで大きく違います。大切なことは執着から離れることです。権利、金銭、時間、労力などすべて自分のものという発想で物事を考えると苦しくなります。自分のことばかりを考えていると「守る」という発想しかなくなり、「与える」とか「共有する」という発想が生まれません。そうする不自由な生活に不満が募るばかりです。


 思うようにならない人生を面倒と考え1人で生きようとる人は昔からいました。ですが、世界中のどこに行こうとも1人で生きることも、1人で幸福になることもできません。できないことにこだわるよりも、人生は思い通りにはならない、人間は1人では生きられないという事実と向き合わなければなりません。与えられた制限のなかで最善を尽くしていくことが人としての人生だと思うのです。けして完全な人間はいないなかで、弱き人間がいかに生きていくべきかを考えることが大切ではないかと思うのです。