経済の時代と心の時代

 あるお宅で、昔はどこの家にも仏間があり立派な仏壇がありましたが、近年は住宅事情のなかで仏壇はリビングの片隅に小さくひっそりと置かれるようになったという嘆きを聞きました。ですが時代の流れを嘆いても虚しくなるばかりです。例えるならば昭和の時代は形から入りました。「これだ」という形が決まっており仏壇ばかりではなく、就職は正社員、結婚は30歳まで、長男・長女は家を継ぐなど様々な形が決まっており、その固定観念によって社会が形成されていました。しかし、そういった固定観念には見栄や義務感が伴うものでした。形ばかりで中身が伴わない虚しさに苦しむこともあったのではないかと思うのです。


 平成になるとそれまで日本社会を形成していた固定観念が次々に消滅していきました。昭和の固定観念や価値観では平成という時代を支えきれず崩壊していったのです。それは人生の決まったレールを歩むという安定と虚無からの解放であり、何事も自分で決めて生きなければならないという自由と自己責任の重荷を背負うことでもありました。また、面倒なことは放棄するという無責任を助長した時代でもあったと思います。


 形は心が伴ってこそ本物になります。間もなく到来する新しい時代は昭和と平成の良い意味での統合の時代になればと期待しています。昭和と平成それぞれの時代に崩壊したものを見直さなければなりません。そして新しい時代に見合った形で再構築していかなければなりません。昭和の時代が形だとすれば、平成の時代は心なのですが、その心はまだまだ満たされていないように感じます。どうすれば心を満たしてくれる社会になるのかを考えなればなりません。経済の発展と心の充足とどちらが大切なのでしょうか。