幸・不幸の境界線

 私の住むところはスキー場が目の前にある豪雪地帯ですが、今年は雪が少なく助かっています。ところが、暖冬に慣れてくると少しの雪でも煩わしくなってしまいます。大雪の年なら1~4センチの降雪予報は喜びなのですが、暖冬の年は不満に思えてしまうのです。少しの雪で除雪するくらいなら、降らないで欲しいと思ってしまいます。同じ降雪でも状況や考え方によって大きく違ってしまうものです。


 不満は自分で作るものであり、幸福や感謝のなかにも不満の種があり、幸福や感謝を破壊して不満が爆発することもあります。幸福や感謝に飽きては不幸を呼び込むのは人間の弱さや愚かさに原因があるですが、他人事ではなく誰にでも不満の種はあり、それがいつ芽吹くかは分からないものです。暖冬の喜びに飽きると小雪に不満を感じるように、飽きてしまえば何事も不満になってしまうのです。


 人間にとって大切なことほど飽きやすいものであり忘れやすいものなのです。健康な時は健康のありがたみを忘れ、家庭円満な時はその家庭に飽きて刺激を求めてしまいます。順調な時は傲慢となり、逆境にあっては不満となり、知足という言葉を体現できないものです。人生とはすべて自分の心からはじまり、その心が言葉や行動となって社会や相手に投影され形となっていきます。人それぞれに幸・不幸を抱えていますが、そのどちらに目を向けているのかによって大きく違ってくるのではないでしょうか。