個が社会を滅ぼすということ

 先日、ある教師が生徒を殴ったという報道がありましたが、生徒がずいぶんと教師を挑発して殴られたようです。おそらく世論は、どんなことがあっても生徒に対する暴力は許されない、教師を挑発した生徒にも問題があった、というふたつに分かれると思います。私は道徳が通用しなくなった社会は崩壊すると考えています。今回のように教師に敬意を払うことなく挑発した行動は、昭和の時代であれば生徒に非があったと認識されたと思います。学校も社会も生徒の家庭でさえそのように考え親が教師に謝罪したと思います。それが逆転したのは社会が成熟して生徒の人権を擁護するようになったからではなく、道徳が荒廃し正しい道理が通じなくなったからだと思うのです。


 社会で暮らす人々がそれぞれ快適に暮らすためにはお互いに対する配慮が必要です。社会生活では何事においても良識やマナーが求められます。どのような社会であれルールを無視する人間がいますが、そういった人間が一定数を超えると社会は荒廃してきます。人は誰しも善悪の心を持っていますが、道徳的な社会では良心的な生活が中心になります。良心的な生活には面倒なことや我慢を強いられることもありますが、誰もが同じように生活していると思えば、それがあたりまえになります。ところが、面倒や我慢を捨て去り周囲への配慮よりも自分中心に生きている人間を見ると、誰もがそんな愚かではあれ楽な生活にあこがれ真似をするようになります。


 自分らしく自由に生きるといえば聞こえはいいのですが、周囲への配慮に欠けたワガママ生活では困ります。日本では地域など全体を優先してきましたが、平成になってからは全体よりも個の権利を優先し、そのため全体が機能しなくなってきています。地域の町内会や学校のPTAなども個の無関心とワガママによって力を失い、社会全体が低迷しています。モンスターが次々に誕生し日本の良識を破壊して暴れないよう個に流されない強い社会と道徳が求められています。