幸せの国が

 大先輩がネパールに行ったときの話なのですが、ネパールでは朝の日課としてお参りするそうですが、お参りした人にどんなことをお願いしたのかと聞いたところ、みんなの幸福をお祈りしたと答えたそうです。ネパールでは100人がそれぞれに自分のことを祈るよりも、99人が自分のことを祈ってくれるほうが良いと考えます。そのため自分のことではなく、みんなが幸せになれるように祈るそうです。考えてみればその通りなのですが、日本であれば自分のことを祈ってくれているかどうか分からない相手のために祈るよりも、自分のことを祈ってしまいます。


 また、ネパールでは自分が幸せになるためには、まず周囲が幸せにならなければならないと考えるそうです。自分一人では幸せになれないことが分かっています。日本であればまず自分が幸せになって、そののち周囲を幸せにすると考えがちですが、日本とネパールでは自分と相手の順番が逆になっています。これはみんなが自分のことを考える社会なのか、みんなが相手のことを考える社会なのかの違いです。幸せの国はやはり根本的な考えが違うようです。


 単純な理屈なのですが、そもそもの発想を逆転させることは簡単ではありません。日本も昔はそういった価値観があったはずなのですが、物質主義のなかで失われていきました。ネパールにも周辺国からの情報が入るようになり、今までの価値観が揺らいでいるそうです。人間というものは日々の平穏よりも新しい刺激に流されるものです。世界の宝ともいうべき幸福の価値観が崩壊していく姿を見たくはないものです。




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