見えざるもの

 人は何のために生きているのか。誰にでも当てはまり納得できる表現をするならば、人間は幸福になるために生きているといえます。ところが、幸福とは厄介なもので、決まった答えがありません。そのため人それぞれの幸福を求めようとしますが、その過程において「これがなければ幸せになれない」とか「こうでなければ幸せになれない」と自分の幸せに条件をつけては、自ら幸福のハードルをあげては、幸福を遠ざけている人も多いように感じます。


 幸福には形がありませんから、形ある幸福を求めてもいけません。幸福とは感じるものです。大切なことは幸福を感じるアンテナを装備して、その感度をあげることです。道端に咲いている花もバタバタ・イライラしていれば目に入りません。その花を愛でる人もいれば、感動する人もいます。一輪の花も様々な縁と恩によって花を咲かせています。たくさんの花があったとしても、すべての花が尊き美しさを持っています。それに気づくことができるかどうかなのです。


 花と同じように、この世界にはたくさんの人間が暮らしていますが、数十億人のなかの一人ではなく、それぞれが尊い命を生きています。日々の生活を平凡だつまらないと不平不満に埋もれるのか、平穏でありがたいと感謝と喜びの生活を送るのか。たとえ同じような生活であっても、感じ方ひとつで天地ほどの違いが生まれます。年齢と共に変化の乏しい生活になってしまいます。そのなかで、いかに自分の幸福を発見していくのか。見えざるものを見て感じる力を養いたいものです。



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