本質を見失って

 先達であるお寺を訪れ千手観音の説明を聞いた時、手に武器を持っているのは仏様の世界にも争いがあるためだという発言があり驚愕しました。バスに戻ってから同乗者に仏様が持つ武器は私達の煩悩を払ったり、災いを払うためのありがたい法具であると訂正しました。間違って覚えられたら大変な誤解になってしまいます。


 そもそも仏様は何のために存在するのかを考えれば、戦争をするためではなく、私達を導くためにおられます。仏様によって役割は違いますが、その根本は同じなのです。最も大切な仏様の本質が分かっていれば、手に持つ剣や弓が争いのためではないと分かります。物事の本質を考えるということが大切ではないでしょうか。
 たとえば選挙でも他人の就職活動に興味はない、どうせ一票では何も変わらない、という考えもあります。ですが、人類の歴史を考えれば民主主義を実現するためにどれだけの犠牲があったのか。国民としての権利と義務、選挙の意義など考えれば選挙の重要性も自然と理解できます。


 物事に対する理解には浅深があり、今の自分の考えがファイナルアンサーだとは思わず、さらなる答えを求めようする態度も必要です。この社会や人間という存在をより良く理解することで、人生が大きく違ってきます。この世界は憎悪に満ちていると思っている人にとっては憎悪がすべてになります。知らないということは恐ろしいことです。自分に対する問いかけを欠かすことがないようにしたいものです。



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