観音巡礼の心

 ご縁のあった皆様と庄内三十三観音を巡礼してきました。バスのなかで巡礼について法話をさせていただきました。巡礼では自分のことや家族のことなど様々な願いがあります。たとえば友人など誰かのところにお願いに行けば、「ああしないさい、こうしなさい」、「ここが悪い、ここを直せ」と様々な苦言を言われ、まったく違う人間になることを求められることもあります。ですが、観音様は何も言わずに、ありのままの私達を受け入れてくださいます。


 否定されることなく、ありのままに受け入れていただける喜び。観音様に見守られながら暮らせるありがたみについても、考えていただきたいと思います。日々の生活を平凡だつまらないと、「あれも欲しい、これも欲しい」、「ああなりたい、こうなりたい」と求めすぎれば、不平不満に埋もれて苦しくなるばかりです。同じ生活であっても、自分の心のありかたひとつでまったく違う生活になります。


 観音巡礼では33の観音様を訪ね歩きますが、それぞれの観音様から慈悲の心を分けていただき、それを種として大きく育てなければなりません。巡礼の前よりも周囲の人に対して優しくなれる、同じ生活なのに今までよりも心が落ち着くなど、そういった少しずつ生活が変わっていくことが本当のご利益なのです。ご利益を願う巡礼を否定するわけではありませんが、観音様に近づいていくということが仏教本来の教えなのです。



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