私だけは味方です

 アサガオの種をまいてヒマワリが育つことはありません。アサガオの種からはアサガオが育ち、ヒマワリの種からはヒマワリが育つのが道理というものです。私達もそれぞれに自分だけの種を与えられ生まれてきました。ですから他人にあこがれることはあっても、自分以外の何者かになることはできないのです。どこまでいっても私は私であり、私を捨てることはできません。ですが、私という存在をより良い方向へと導くことはできるのです。


 多くの人々は自分を否定することからはじめます。自らのコンプレックスを数えあげて、そんな自分に落胆します。自分を否定しているうちは希望の光は見えてきません。長所も欠点も自分に与えられた環境もすべてを認めたうえで歩んでいかなければなりません。車はたくさんの部品で成り立っていますが、そのうち自分の気に入らない部品を捨ててしまえば、車は故障して走らなくなります。すべてのパーツがそろって1台の車になっています。


 たまらなく嫌な自分も、忘れてしまいたい過去も、すべて私という人間の一部なのです。欠点を認めることと、開き直ることは違います。自分という存在を統合し高めようとすれば、自然と欠点も落ち着いてくるものです。私も誰かから文句を言われ否定されれば暴れたくなります。もし、それが最も親しい自分自身だったとしたらどうでしょうか。世界中のすべての人が私を否定しようとしても、私だけは自分を信じ味方でありたいと思います。そしてこの世にたった一人の尊い存在として花を咲かせたいと思います。




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