自分の心を殺さずに

 人それぞれの価値観で生きていますから、必ずしも自分の想いが相手に届かないこともあります。自分の好きな相手に想いが届かない、企画会議で自分の企画が採用されない、親切にしたつもりが迷惑がられる、人の想いは一致すれば大きな力となりますが、不一致となれば大きなストレスとなります。現代は相手の心がなかなか見えない時代でもありますから、人間関係のストレスも大きくなっています。


 自分の想いや価値観が届かなかった時、自分が絶対だと思っていたことが砂の城のように崩れ去った時、どのような態度を示すかが問われます。それでも自分の価値観を信じるのか、周囲の流れに便乗するのか、どちらにせよ想いが強ければ強いほど簡単ではなくなります。そのためか想いを持たない生き方をする人も増えているように感じられます。「どっちだっていい」や「どうでもいい」が口癖の人もいます。


 私達の想いは強く柔軟でなければならないと思うのです。柳は強風をしなやかに受け流し折れることがありません。自分の想いと相手の想いの狭間にあって、双方から押しつぶされることのないように、上手にいなさなければなりません。心の強い人ほど相手の想いもちゃんと受けとめることができます。許容範囲が小さいとすぐに崩壊してしまいます。外から流れ込む悪意や衝動などに翻弄されることなく、逆に指導や期待などは素直に受けとめながら、成長していくことで自分の心を殺さなくても、この社会で豊かに生きていくことのできる心を養うことができると思うのです。




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