日本人宣言

 日本人が家族のことを愚妻や愚息などと表現するのは、家族を分離していないからだという本を読みました。家族は自分と一体だという感覚があり、人前で自分のことを良く言わないのと同じように、家族のことも同様に扱うのです。本人が「私は素晴らしい人間です」と言えば、聞いているほうは自分で言ってしまうのかと当惑します。それと同じように「私の家族は素晴らしい」と自分で自分の家族を称賛するのもおかしな感覚だったのです。


 欧米は個人主義ですから家族であっても、まったく別個の人間として扱います。そのため家族を称賛するのも当然という感覚があります。自分とは違う人間だからこそ尊敬の対象であり、対等な関係を築こうとします。ただし別個の人間という感覚だからこそ、争いもあり離婚も多いのではないかと思います。「家族だからしょうがない」という許しの感覚が日本人とは違うのかもしれません。日本人の持つ家族の一体感に甘えていいわけではありませんが、家族がそれぞれ別人という感覚はさびしく思えます。


 海外から様々な文明や価値観が導入され、検証されることなく盲目的に受け入れられているようにも感じます。日本人が持つ独特の感覚が失われていくと、姿形は日本人でも中身はどこの国の人間なのか分からなくなってしまいます。絶滅した生物が復活しないように、受け継がれてきたものが失われれば、もう戻ることはないのかもしれません。日本で生まれたから日本人なのではなく、日本人としての文化や生活、それに伴う価値観や感覚を大切にしてこそ、胸を張って日本人と宣言できるのではないでしょうか。
 


応援クイックお願いします
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村