悪意の遮断

 仏教の悟りとは苦しみがなくなった境地のことを指します。では、苦しみはどこから生まれるのかといえば、私達の欲や怒りから作りだされるものです。悟りといえば獲得不能な境地と思われるかもしれませんが、日々の生活にあって欲や怒りを少し抑えるだけで、ずいぶんとおだやかな生活を得ることができるのではないかと思います。


 そういった生活を求めて竹林の七賢のように社会から離れた人々もいます。出家者も社会から離れることで煩悩から逃れようとしました。それはウイルスの存在しないところにいればいれば、インフルエンザにならないのと同じような発想です。効果的ではありますが、誰もが社会から離れれば社会が機能しなくなります。私達はこの社会にあって欲や怒りに翻弄されることなく、おだやかに過ごさなければなりません。それは泥の中にあって美しい花を咲かせる蓮のような存在を目指さなければなりません。


 インターネットにたとえるなら、ちゃんとネットでつながりながらも、悪意あるウイルスを遮断しなければなりません。最初からネットを遮断するのではなく、つながりながら選別して遮断することが大切です。ご縁の世界で人を選別することはなかなかできません。ですから、相手から送信されてくる自らの欲や怒りが増幅されそうな感情を上手に遮断しなければなりません。相手に対してイライラしたり落ち込んだりするのは、まだ修行不足であり上手に遮断できていないのです。もっと心に余裕をもって、おおらかな気持ちで接したいものです。




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